<22>高札

 
 高札は、明治時代初期まで禁制・掟などを板に書き、人の集まるところや往来の激しい辻に立てられた掲示板です。
 高札の文面は、「表題」「本文」「年月日」「発行主体」で構成されています。
 表題は「定」と「覚」があります。「定」は永年掲示、「覚」は暫定的な掲示とされています。
 江戸時代の大網白里市は、直轄領・旗本領・与力給地、大名領などが入り混じった複雑な所領分布で、歴史的な背景を良くあらわした貴重な資料です。
 3枚共に市教育委員会で保存しています。通常は公開されていません。
 
  大網白里市指定有形文化財 古文書
  平成17(2005)年5月19日指定
 
 
切支丹禁制高札 天和2年(1682)5月

長さ81.8㎝、高さ41.6㎝、厚さ3.6㎝
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         定
    切支丹宗門者累年御制禁
    多り自然不審成もの有之者
    申出扁し御褒美登して
    一 伴天連んの訴人   銀五百枚
    一 い類満んの訴人   銀三百枚
    一 立帰者の訴人     銀同断
    一 同宿并宗門の訴人  銀百枚
    右之通可被下之縦同宿宗門之内
    多りと以ふとも訴人尓出る品尓より
    銀五百枚可被下之若隠置他所より
    阿らハるゝにお以て者其所の名主
    并五人組迄一類ともに可被処
    厳科もの也
     天和二年五月        奉行
    右之通り被仰出之候間領内之輩
    堅可相守者也          出雲
 
 切支丹関係者を知っているものは訴えるように奨励しています。
 伴天連(神父)、い類満ん(イルマン=修道士)、立帰者(いったん転んだが立ち返って切支丹となった者)、同宿並宗門(同宿者、信者)を知っている者は訴え出るように。隠した場合は、名主以下五人組まで厳しく罰を与えるとあります。
 発行主体は、奉行と記載されているので幕府と思われ、そして最後の「出雲」は地域を統治したものの名前と思われます。

 
 
捨馬禁止高札 貞享4年(1687)12月
 

長さ82.0㎝、高さ41.0㎝、厚さ3.5㎝
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   捨馬之儀ニ付被
   仰出候處頃日茂捨馬
   仕候もの有之候急度御仕置
   可被仰付候得共先此度
   流罪被仰候向後捨馬
   仕候もの於有之者可被行
   重科者也
     貞享四年卯十二月   奉行
   右之通堅可相守者也
                 出雲
 
 捨馬を禁じ、捨てた場合は重い刑を言い渡すとあります。

 
 
発砲禁止高札 享保6年(1721)年2月
 

長さ74.0㎝、高さ41.2㎝、厚さ3.8㎝
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         定
   在々尓天若鉄砲打候者
   有之者申出扁し并
   御留場之内鳥越取
   申毛の捕候歟見出候ハヽ
   早々申出扁し急度
   御褒美可被下置毛の也
    享保六年二月    奉行
 
 在所などで発砲したり、御留場での獲物の捕獲を禁止するとあります。

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