【古墳時代】

 古墳時代には、農耕が安定し、生産能力が高まるにつれ権力者の力も増大して、ムラを束ねた長が亡くなると古墳に埋葬されました。古墳のもつ意味は埋葬施設だけでなく、ムラの人々の結びつきを確かめる場所であり、儀式を行う場所とも言われています。
 古墳時代には、遺跡群各地から遺構・遺物が検出されていることから、遺跡群全体にムラが分布していたことがわかります。
 
・古墳時代前期

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 古墳時代前期の遺物としては、No.3地点の竪穴住居から出土した2点の土師器があります。土師器は弥生土器の製法が受け継がれて、つくられたものです。野焼きで800度前後で焼かれています。
 
・古墳時代中期

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 古墳時代中期の遺物としては、須恵器と言われる灰色で硬質の土器があります。朝鮮半島から伝来の新技術により、ろくろを使用し、窯で1,000度以上の高温で焼いたものです。これは提瓶と呼ばれる形状で、胴部が平たい鏡餅のような形になっています。液体を入れたものと考えられますが、詳しい用途についてはわかっていません。
 
・古墳時代後期

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 高杯や杯など同じ形状をした土師器が多く出土しています。
 また、古墳時代中期までは、住居の中心に炉を据えていましたが、古墳時代後期の住居からは、かまどが検出されています。

住居

 目印として×印を刻んだ土師器や、ミニチュア土器も出土しています。
 大網山田台遺跡の古墳の中では、後期の方墳と考えられている「道円坊古墳」の墳丘が、現在市内の季美の森の「むぎわら公園」の中心に保存されています。遺存状態が比較的良好なため、大網山田台遺跡群の古墳の中で唯一墳丘が残されています。

むぎわら公園