【奈良・平安時代】

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 大網山田台遺跡群から発掘されたの竪穴住居跡は全体で1,215軒ですが、このうち奈良・平安時代のものが787軒です。古墳時代後半から拡大した集落は奈良時代の中ごろから平安時代前期にかけて最盛期を迎えます。

集落跡

 奈良時代の遺物の中でも杯を比較すると、前の古墳時代の丸底だったものから、平底に変化をし、また、須恵器の割合も増えていきます。

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 平安時代に入ると、高台の付いた土師器杯やロクロを使用した土師器が多くなります。
 また、大網山田台遺跡群からは、土器に墨で文字が書かれている墨書土器が多く出土しています。
 墨書土器には、地名を表すもの、人名を表すもの、「役所」などの建物・施設名を表すもの、信仰を表すものなどがあります。No.10地点の小西平台遺跡からは、「山邊万所」と書かれた9世紀後半の杯があります。「山邊」は現在でも当地域を「山辺」と呼ぶことから、地名を表すものであり、更に「万所」は建物・施設名を表すものと言えるため、興味深い資料です。

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 平安時代も、時代が進むにつれ、灰を釉薬として利用した壺や内側を黒く処理したものも見られます。この時代になると多種多様な土器が使用されるようになり、形も洗練されてきます。

No.6地点H033

 大網山田台遺跡群の集落は、奈良時代から平安時代前期にかけて最盛期を迎えますが、9世紀後半から10世紀前半には姿を消す、東国特有の集落形態を持っています。