斎藤巻石(さいとうけんせき) 1798~1874 網元画家
寛政10年(1798)、四天木村(現大網白里市四天木)の土豪で、九十九里浜の代表的な網元である斎藤家の次男として生まれる。兄が早世したため家督を継ぎ、十二代四郎右衛門を襲名、甥の成長を待って家督を譲る。以降、別邸「大洋庵」に文人墨客を迎えて交わり、古書画を収集し楽しむ。交流のあった画人には椿椿山、福田半香、高久靄厓、高久隆古、木下逸雲らがおり、自らも南画山水を描いた。幕末期に越後に遊び、その後江戸に出て一時上野に居を構えたと伝わる。明治7年(1874)、77歳で没す。幼名を源作、名を義、字を公知といい、はじめ南乙、次に粼斎、続いて拳石、後に巻石と号し、また書斎を五清堂、拱寿庵と称した。巻石が自己の楽しみのために描いた作品は、大正期に松林桂月、石井林響らに高く評価された。
解説: 城西国際大学水田美術館学芸員 堀内 瑞子(2019.3)