富嶽(画賛)


玉蓮峯勢雄、  玉蓮の峰勢は雄にして、
八朶倚蒼穹、  八朶倚りて蒼穹、
肇國三千歳、  肇国 三千の歳、
泰然鎮海東。  泰然として海東に鎮む。
雙石
 
 富士山を軽快な筆致で描き、画賛を篆書でしたためたもの。「壺天」朱文印を捺す。石井雙石は、大正12年(1923)7月、札幌から富士山の見える東京青山に上京し、不二山房を営んだ。その間、中国の古銅印の時代考証に傾倒し、その研究成果を毎月発刊の『雕蟲』誌上に発表していたことはよく知られるところである。また、本作には捺されていないものの、「不二山客」自用印を刻しており、雙石は富士山をこよなく愛していたようである。雙石が描いた富嶽図は、本作以外にも多数、確認することができるが、特に親交の深かった鈴木篩雪(本名は伊三郎、医学博士でありながら、書画篆刻を好んだ)が画を描き、雙石が賛をしたためた合作を七点、確認することができる。そのうち、本画賛全文を書いたものは三点、また二句目のみを書いたものは二点見られ、本画賛は、雙石愛用の賛であったことが想定される。
 
解説: 髙橋 佑太(二松学舎大学専任講師・博士(芸術学)) 2019.3
 
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