瑞煙呈福壽


 明治6年(1873)4月1日、九十九里浜に生を享けた石井雙石は地元の漢学塾遠紹書院で学んだが、23歳で陸軍に入り台湾へ。32歳時には日露戦争に従軍するなど、過酷な日々であったであろう。同42年には3年間師事した五世浜村蔵六(1866‐1909)が逝去したが、50歳を機に生涯篆刻に打ち込むべく職を辞し、大正12年(1923)7月に札幌から東京青山に転居した直後の9月1日に関東大震災に遭遇。昭和20年(1945)5月には空襲で蔵書や金石文資料を焼失して九十九里浜に疎開。3年後に東京葛飾の堀切菖蒲園近くに居を移し、同40年(1975)12月に93歳にして妻とともに埼玉県東松山市の息女家族の家に移った。その妻にも先立たれたが、昭和46年(1971)10月29日、98歳7か月の大往生を遂げた。まさに白寿であり、生地と同じ年寿を全うしたのである。
 その年すなわち「九十九寿雙石」の落款を有する本軸装作品は、半切の画仙紙に「瑞煙、福壽を呈す」を揮毫したものだが、墨を継いだ「福」の「田」の縦画を左下に伸ばしたのは、亀の尾に見立てたように察せられ、最期まで柔軟な発想と、それを具現化する確かな腕を保っていたことに驚きを禁じ得ない。
 
解説: 森岡 隆(筑波大学教授・博士(芸術学)) 2019.3
 
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