- 八鶴湖詩碑
- 石井雙石
- 昭和44年
小川一郎なる人物が縁戚の佐久間俊齋(1916‐1989)を通じて、石井雙石に揮毫を依頼したもので、碑陽(図版1)に雙石揮毫の文字が、碑陰(図版2)には石碑建立の経緯をまとめた、小川一郎による識語が認められている。八鶴湖は、現在の千葉県東金市に位置し、桜の名所として知られる。その名は、江戸末期の漢詩人、遠山雲如(1810‐1863)が八鶴と名付けたことに因むとされ、その後、多くの漢詩人や学者が集まり、文化交流の場となった。図版1にみられる「梁星嵓」とは、梁川星巌(1789‐1858)のことで、江戸後期の漢詩人である。本作は、梁川星巌がかつて八鶴湖で遊んだ際に詠った詩の韻に和して、雙石が作詩したもので、石碑は昭和46年(1971)、東金市御殿山の碑林に建立され、現存する。
【釈文】
誰道吾郷勝區無 誰が道う 吾が郷勝区無しと
東金景似訪方壷 東金の景 方壺を訪ぬるが似し
天邊鶻影嶺頭寺 天辺の鶻影 嶺頭の寺
波上扁舟風外蒲 波上の扁舟 風外の蒲
吟興備知幽境美 吟興 備に知る 幽境の美なるを
夜游却喜月痕孤 夜游 却って喜ぶ 月痕の孤なるを
州中第一好山水 州中 第一に山水を好み
把酒題詩八鶴湖 酒を把り詩を題す 八鶴湖
游八鶴湖次梁星嵓詩韻 八鶴湖に游び梁星嵓の詩韻に次す
九十七叟雙石
【釈文(碑陰)】
先生名ハ碩、字ハ子寛、雙石ト號ス。不二山房主人ノ號アリ。
明治六年四月一日、九十九里濵四天木ニ生ル。五世濱村藏六ニ
師事シ、篆刻ヲ學ビ、出藍ノ稱アリ。本邦篆刻界ノ重鎮タリ。曽テ
賦スル所ノ八鶴湖七律ノ名吟アリ。余夙ニ郷賢ノ文雅ヲ愛シ、
之ヲ永ク後世ニ傳ヱントスルノ意アリ。縁戚佐久間俊齋ヲ介
シ、先生ニ其ノ揮毫ヲ請イ、之ヲ石ニ刻シ、御殿山ニ建テ、以テ記
念トス。
昭和四十五年文化佳節 小川一郎識
解説: 髙橋 佑太(二松学舎大学専任講師・博士(芸術学)) 2019.3
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