遊戯三昧


 原本は個人蔵であり、本作はその複製品。石井雙石自作の漢詩や俳句、作品の草稿などを折帖にしたためたもので、外題にみえる「遊戯」の如く、即興的に記している。自詠の詩句だけではなく、芭蕉の句や雙石の漢文の師であった岩渓裳川(1855‐1943)の漢詩も記す。岩溪裳川は、森槐南(1863-1911)没後の明治時代の詩壇において、国分青厓(1857‐1944)と双璧をなした人で、二松学舎大学の教授も勤めた。
 基本的に右から記すが、「暁雞聲」や「自題印誌」は左から記す。自作の詩については、『雙石詩集』所収のものがほとんどであるが、未収のものもある。例えば、雙石は明治44年(1911)、軍属として札幌に移住したが、その頃のことを詠ったと思われる「幌都郊外白石村」も収録される。また身近なものを印材として愛用した雙石らしく、竹を詠った俳句「竹なければ人をして俗ならしむ」や、中国南朝の梁の江淹(444‐505)の詩句「秋露如珠」を模倣した語「竹露如珠」の篆刻作品の草稿も記しており、雙石の竹への愛着がうかがえる。押印も実際に捺したものもあれば、興に乗ったまま、朱墨で書いたものもある。正確な制作年については不明であるが、「暁雞聲」の落款に「癸巳冬日」、「對月」の落款に「癸巳秋日」と見えることから、昭和28年(1953)、雙石81歳頃の制作であると思われる。
 
解説: 髙橋 佑太(二松学舎大学専任講師・博士(芸術学)) 2019.3
 
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