重源狭山池改修碑 解説

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重源狭山池改修碑 拓影

重源狭山池改修碑

一基 和泉砂岩

縦一九二.〇cm 幅五八.五cm

横七九.五cm 重量一.八トン

鎌倉時代 建仁二年(一二〇二)

大阪府・大阪狭山市所蔵

(大阪府立狭山池博物館内 展示)

重源による狭山池改修時に作成した記念碑。銘文は、縦三四cm、幅九一cmの範囲に刻まれている。文字を刻む部分は、他の部分より少し高く調整され、一部剥離がある。銘文は、およそ二cm四方の文字で刻まれている。全体的に磨滅も少なく、所々にノミの痕跡が残り、土に覆われていた時間が長かったことが推測できる。

銘文は、啓白文の形式をとり、「三世十方諸仏菩薩等」という書き出しで始まる。行基が天平三年(七三一)に初めて堤防を築いたこと、摂津、河内、和泉三箇国の人民の誘いで工事を実施したことが書かれ、工事の概要に続き道俗男女、子どもや非人までが自ら石を引き堤を築いたと記す。

続いて梵字で、発心門を表すアバラカキャの後に、記述の最後署名の部分が始まる。

発心門の梵字は、五輪塔の正面に刻む場合が多い。地輪()(ア)・水輪()(バ)・火輪()(ラ)・風輪()(カ)・空輪()(キャ)の順に下から刻む。重源碑の梵字の並びも、上から五輪塔と同じ順で並んでいる。「大勧進造□(東)大寺大和尚南無阿弥陀仏」という重源を示す名前、「少勧進阿闍梨(バン)阿弥陀仏」の名前に続き、光明真言の梵字を上段に刻み、下段に浄阿弥陀仏、順阿弥陀仏と続けている。光明真言は、密教で使われる真言(仏の言葉)である。音を大切にして発音するため、梵字であらわされることが多い。梵字は、七文字・六文字・六文字・五文字に分けて刻まれているが、文字の折り返しの高さはそろう。

阿弥陀仏号を持つ人名は、重源を含めて四名あり名前を刻む高さが違い、立場の違いをうかがわせる。一部剥離部分と重なるため、他にも刻まれていた可能性がある。

最後に、工事に参加した工人の名前が刻まれている。「造東大寺大工伊勢 守物部為里」は、重源と行動を共にした番匠(大工)である。物部為里は、東大寺大仏殿再建の功績により、伊勢権守に任ぜられている。碑文の翻刻は、「匃」などの異体字をそのまま採用し、11行目「等」については、以前の翻刻「迄(迠)」を改めた。

出典:

『重源狭山池改修碑重要文化財指定記念特別展 重源と東大寺』

 発行日  平成26年11月1日

 発行   大阪狭山市・大阪狭山市立郷土資料館