松原地区を除いた佐久山地区の丘陵地域外は、那須野断層盆地南部、大扇状地末端部に相当し、その大部分は新生代末期迄は海水面下にあった地域であり、このことは左の地形上から、あるいは土地断面に見られる地質上から観察されるのである。
この地区は旧金田、大田原、野崎、親園、及び旧佐久山松原地区の那須複合扇状地区と、箒川右岸の喜連川丘陵地帯との二地区に大別される。
前者は第三紀凝灰岩層を基盤とし、その上に関東ロームと呼ばれる赤土層をのせた、北西から南東に走る七列の丘陵地と、その間の礫層地とから成り、これらから湧出する数多の泉は、飲用、水田灌漑用その他の用水源となっている。
丘陵地は海抜高度二百メートル及び二百五十メートルに相当する部分は、僅かに南東に向って傾斜する平坦地となっており、西部の丘陵列は断続しつゝ過去の連続を物語っている。また丘陵列間の谷間平地も、西部は広い盆状谷となっており、礫層の発達著しく、東部のそれは、その中も狭く、礫層発達は西部より著しく劣る。礫層の発達も西部においては表土にまで礫の存在する部分が多くみられるのに比して、東部においては極めて少ない。
喜連川丘陵地帯は前者と同様、第三紀凝灰岩層と、上層に関東ロームをのせた丘陵地、及び狭長な丘陵間低地とから成り、土地の成立も前時代においては、前者とほゞ同様であることを物語っている。然しながらこの地域においては、前者にみる海抜二百メートル及び二百五十メートルの平坦地はみえず、また海成層とみえる部分はみられない。更に扇状地特有の地形もみられず、この点前者と異なる成立過程を示している。