この期の初期は凝灰岩形成の降灰を伴う火山活動が行われ、一帯は生物の姿のみられぬ灰色一色に覆われた荒涼たる景を示し、海水面は噴出された軽石が一面に浮び、徐々に他に運び去られていった。今日当時海水面として予想される海抜高度二百五十メートル線を堺として、それより高部の凝灰岩層には玻璃質に富んだ極めて軽い(水に浮ぶ)軽石を多量に含むに比して、それより低部のそれには、全く反対に含有量の極めて僅かなのは当時の陸地と水面とを区別する一証左ではなかろうかと思う。
陸地として残った部分も河水その他による侵蝕作用は極めて微弱となり、水面部以下はもち論、陸地の部分も堆積作用が旺盛となり、水面下の部分も三角州の発達をみ、極めて緩傾斜の層が陸地の部分より海の部分に向って発達していった。
前記の各平地はこのようにして成立したものである。