ここで述べる地下水とは重力水を指す。
地域内の地下水深度は大田原―矢板間県道以北、野崎地区東部及び丘陵部を除いた部分はすべて五米未満である。丘陵部の深度はその付近の地下水深度に比高差を加えた深さではなく、それよりは浅い。
また地下水の含有量は砂礫層は豊富であるが、凝灰岩層や赤土層では少なく、これは前者の空隙率が三十%以上であるのに比し、後者のそれは約半分であるためである。
地下水は低地部では土地の傾斜に従い北西より南東方向に流れ、丘陵部では低地部の地下水が減少の際、僅かに流出するに過ぎず、しかもその速度は極めて遅い。
井戸を堀っても砂礫層部はその湧出が極めて豊富であるため、水田用灌漑に利用されるに比し、凝灰層及び赤土層では僅かの空隙を通って徐々に集水されるため、殆んど水田灌漑用に供し得ないのはそのためである。
なお、同じ砂礫層にあっても蛇尾川氾濫地域が水量が最も豊富であるのは、蟇沼において地下に滲透した蛇尾流水が伏流水となって地域内を流れるためであり、また、那須疎水の開鑿は地下水面を高めると共に、地下水の増量にも役立っており、その好影響は各地にみられるようである。
次に泉については、その湧出個所は極めて多く、野崎地区の東北部あるいは一部丘陵地等を除いては極めて豊富である。このように泉の豊富な理由は蛇尾川、熊川その他の小河川水が北西山地部を離れるや、阿れも礫層下の伏流水となり本地域内に湧出するためで、上部泉地列は等高線二百五十メートル線とその下部泉地列は二百メートル線と殆んど一致し、かつての海水面線との関係を物語っている。
泉は横より流れ出る管状泉が多く、下方から吹き上げる噴泉は二百五十メートル~二百メートル等高線間に多くみられる。それは上部礫層と下部礫層との間に不透水層を挾み、下部層部の水は被圧水となって扇状地末端低圧部に噴出するためであり、このような泉が渇水することは殆んど稀である。
以上要するにこの地は、過去において数次にわたり海底時代、陸地時代化を繰り返し、その間付近の火山爆発に伴う噴出物の堆積、断層作用による地盤降下、河水及び風による侵蝕と堆積等各種各様の作用の結果として成立したものであり、豊富な地下水と泉もすべてそれらと関連を持ち、またそれの存在が遠いわれわれの祖先より今日のわれわれに至るまで、深い結びつきを持っていることは、先史人の住居位置や旧関街道、奥州街道その他の街道によっても知ることができるのである。