(一)前大神南部遺跡

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 高橋より小川町芳井に至る市道の小川町との境界付近、通称一貫橋付近の北側にある丘陵地帯の南斜面とその麓の畑地帯には、広範囲に繩文土器片が散布している。しかし、集中的に出土する所はなく、まだ遺跡名を命名するには至っていないので、一応総括して、ここでは前大神南部遺跡と呼ぶことにする。
 本遺跡から出土する土器片は量も少なく、小片が多いので、農耕の際などもあまりかえり見られなかった。土器の多くは、黒褐色、暗褐色を呈し、胎土に白色の石粒、石粉を混入しているものも見られる。文様は、アナダラ属の貝殻腹縁による沈線や剌突文が多い。ギザギザの大小や用い方で、種々の沈線や押捺文が描かれ、貝殻の折片や小枝、ヘラも用いられた。これらの土器片から器型を推定することは不可能であるが、南関東における田戸式系統に属するもの、特に田戸下層式に比定されるものと考えてよいであろう。この型式のほかに茅山式に比定されるものと思われるものも二・三採集している。いずれにしても、この前大神・芳井境一帯の今後の精査が必要である。(写真三)

写真3 前大神南部出土・早期繩文土器

 このほか、早期に比定されると考えられる土器片は、前記散布地の西南方約一キロメートル、支谷の水田地帯をはさんだ位置にある舌状台地より田戸下層式土器に比定されるもの、大神記念碑上、箒川寄りの台地上からは茅山式比定土器が採集されている(1)。なお葉の木沢付近より出土したとされている土器片の中に早期に属するものと考えられるものが混在していたが資料が少なく、その出土点及び出土状況も明確でないので、ここで言及することは避ける。
 なお、渡辺喝山氏は早期に属するものとしては、平林で茅山式の土器を採集されているが、その出土地点は不明である(2)。