写真6-1 高山遺跡遠景 前方の丘陵が高山遺跡
近景の畑は赤坂遺跡
写真6-2 高山遺跡出土の中期繩文土器
(佐久山中学校蔵)
この丘陵上に広範囲に遺物が散布し、土器片のほかに石鏃、打製石斧、敲石などが採集されている。土器片の多くは、赤褐色ないし灰褐色を呈し、厚手のものが多く、胎土には雲母が混入し、焼成は良好である、土器片から推測すると器型・文様ともに豊富のようである。佐久山中学校には、この遺跡から出土した完全土器が一個、器型を推測できるものが一個保存されている。
前者は、浅鉢型で器高約一〇センチメートル、その上に高さ約三センチメートルの小さな把手をつけている。底部径約六センチメートル、胴部は高さ六センチメートルの所が最大径で約二二センチメートル、ここを中心に口縁部および底部に向ってそれぞれ直線的に内反している。胴部上半は斜繩文が施文されているが、下半は無文である。胎土には雲母粉が混入している。
後者は口縁部の一部と下胴部以下を欠損しているが、口頭部が大きく外向した円筒形の深鉢で、いわゆるカリパー型の土器である。口縁部は波状をなしていたらしく、五~六の山型ないしはにぎり手の痕跡がみられる。口縁部をとりまいて、隆起線文が施文されているがその一部は耳状につけられている。隆起線文の間には繩文は施文されていないが、その内側には剌突による刻み目がつけられている。胴部にも隆起線が輪積みに平行して施され、四カ所の対称の位置で耳状になっている。ここにも繩文はなく、剌突が斜繩文のような列点で施文され(疑似繩文)、隆線の内側にも剌突による刻み目がつけられている。赤褐色で焼成も良く、前者と同じく胎土内に雲母が混入されている。
以上の点から考えると本遺跡は南関東における阿玉台式のものに比定される。この遺跡からは阿玉台式土器に比定されるもののみしか出土していない点に大きな特色を持つが(7)、さらに、ここの土器は繩文を施文するかわりに剌突文を繩文のように器壁一面に施文したもの(疑似繩文)が多いのもその特色とすることができよう。
また、この遺跡から黒耀石の小破片が多く出土しているが、これらは箒川上流塩原山地を原産とするものに極めてよく類似しているといわれている(8)。本地区から出土する黒耀石製の石鏃の原石のほとんどは、塩原山地産のものと考えられている。