湯坂遺跡(9) (大田原市 北金丸 湯坂)

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 昭和三十二年十月、北金丸地区でおこなわれた道路改修にともない、本市教育委員会により、辰己四郎、渡辺龍瑞両氏の指導のもとに発堀調査がおこなわれた遺跡である。その後、海老原郁雄氏等により昭和三十八年に第二次調査がおこなわれた。この遺跡は北金丸湯坂地区北東の白坂丘陵上に位置し、現在は雑木林になっている。

写真7 湯坂遺跡 約100アール以上にわたる中期繩文の集落地

 この調査により、二つの住居跡と袋状土壙が発見されたほか、遺物として、阿玉台、加曽利E、大木7式に比定される土器、石鏃、石斧、石匙、石錐、石皿、敲石、磨石、凹石などが発堀された。
 第一号住居跡は長径六・五メートル、短径五・六メートル、壁高五八センチメートルの楕円形プランで周溝はない。第二号住居跡は長径六メートル、短径五・六メートルの楕円形プランで壁高は知ることができない。両者とも炉跡(石囲炉)はないが、後者には焼土がのこっている。伴出土器の状況により、調査者は、阿玉台式より加曽利E式へ移行する時期のものとみている。
 また、この遺跡から袋状土壙(フラスコ状ピット)が発見されている。この遺構は、口径部が小さく底径がひろがる堅穴である。その形状から袋状土壙とかフラスコ状ピットとよばれているもので、県内各地より発見され、注目されつつあるものである。この遺構の使用目的、性格などについては全く不明である。
 本遺跡の第一号土壙は口径一・二メートル深さ〇・八五メートル、底径一・五メートルで阿玉台式土器を伴出している。第二号土壙は、口径部は、〇・九三×〇・七三メートルの不整円形が深さ二・八メートル、底径二・五メートルで、土壙内には完形土器七個と大破片が包含されていた。その後海老原郁雄氏は第二次調査で二つの遺構を発見している。
 現在この遺跡は大田原市文化財史跡に指定(三六・三・二二)されており、三十二年発掘調査の出土品は大田原市教育委員会で保管しているほか、一部は湯坂公民館に所蔵されている。なお、この遺跡に接続する地域で出土したと見られる土器が、金丸小学校に多数保管されていることを付記しておく。

写真8 湯坂遺跡出土の中期繩文土器(大田原市公民館蔵)