その他の遺跡として住居趾が考えられるがまだ確認されているものはない。しかし、若林(佐久山)、新廟所(佐久山)、平林(大田原)などで土師器が多量に発見されているのでおそらく集落跡や住居跡が考えられる。とくに新廟所は、県道矢板~小川線の箒川入口から佐久山中学校附近にいたるまでの広い丘陵上に土師器が散布して(写真15)いたが、精査されないうちに開田により消滅したことはおしまれることである。
写真15 佐久山中学校の裏山台地から出土の土師器
以上のように本市における古墳文化の研究は弥生文化とともに、全く手がつけられていない状態であるので、今後、これ以上開発が進行しないうちに精査をする必要がある。