大正十四年四月、前記したような状態で発見された薬師如来は、座高十五・三センチ、座幅十二・七センチを測る百済様式の仏像で、堂と共に火災に遇ったらしく、表面は大分荒れている。像全体が緑青におおわれており、胸や腰の凹(おう)部には僅かに鍍金を残し、耳は大きく垂れて手の部分は損傷している。面様は柔和で僅かに微笑を浮べ、肩はなだらかに下り、右腕は胸の高さまで上げ、左手は左膝の上に乗せていて像の裏面には、鋳造の際の鋳型の跡が残り凹凸が激しい。台座は附属しておらず、現代の台座が使用されている、おそらく金銅製像で堂中に安置されていたのが、火災に遇い堂と運命を共にしたのであろう。現在は、故鎌之助氏御子息光弘氏宅に厳重に保管されている。