(2) 釈迦誕生仏

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 昭和十三年春、前記したように大野清宅背後の茶畑附近で、同じ百済様式の釈迦誕生仏の小型のものが発見された。(写真4)本像は高さ八・二センチを測り、腰には裳を付け上半身は裸である。像を横から見ると背中の部分が張り出し、腹部は逆に前方に張り出しており、百済仏の特徴のひとつである弱い逆S字形を呈する。耳は大きく、面相は目、口のまわりが僅かに凹んでおり、古百済仏の特徴である童顔でない怖い御面相である。像の表面は黒味がかって光沢があり、処々鍍金を残し火に遇った痕跡はない。像全体がなめらかで、柔らかい感じさえしていて螺髪(らほつ)も刻まれていない。出土地点が建物跡から少々離れてはいるが、密接な関係のある仏像といえよう。


写真4 那須町東岩崎堰ノ上出土の百済仏(釈迦誕生仏)の正面と側面
那須町伊王野 渡辺龍瑞氏提供




 現在、那須町伊王野時宗専称寺に大野氏より寄進され、国の重要文化財の本尊善光寺型如来と共に保管されており、遺跡も町の指定遺跡となっている。
 なお、当遺跡附近からは、繩文中期の土器片、土師質の高台杯、杯、椀及び須恵器片が出土している。形式は国分式の新しいものに該当するもので、そのなかで最も新しいものは、平安時代末期頃ののものとされ、この堂が少なくともその頃まで存続していたことを示す貴重な遺跡である。