第一節 藩政の確立

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 以下記すところは故人見伝蔵氏の調査記録(大田原史稿)に記されているものに、さらに調査を加えてまとめたものである。
 豊臣秀吉の小田原城攻撃にいち早く馳せ参じた大田原晴清は、天正十八年(一五九〇)秀吉より本領七千百拾四石安堵の朱印状を受け、さらに上杉景勝の叛乱および関ケ原戦の功により四千参百石の加増を受け、一万二千四百拾五石の内大田原二氏に対して五百石宛分知し、一万一千四百拾五石を領地として明治維新まで維持し続けている。
 この領地を治めるために漸次藩制を確立していった。もちろん藩制を定めるにあたっては幕府の承認を必要とし、大体は江戸幕府の封建制に従い、身分制の確立と村役人、町年寄、本陣、問屋の指名等を行ない、又城中には次の職制による役人その他が定められ、その職別はおおむね世襲されていた。次に記すのは明治維新当時の職制であるが、時代により多少の存廃増滅はあったが大体に於て大きな変化はなかったようである。
    職制
  城代     家老    中老     留守役
  番頭     用人    小姓頭    大目付
  目付     徒士頭   徒士目付   物頭
  軍師     吟味役   奏者番    使番
  取次     侍読    侍医     近習
  小坊主    奥付    納戸役    祐筆
  供頭     代官    勘定役頭取  勘定役(ほかに江戸勘定役)
  払方     賄方    蔵方     旗奉行
  長柄奉行   寺社奉行  郡奉行    町奉行
  作事奉行   普請奉行  倹約奉行   山奉行
  前裁奉行   儒員    馬術師    料理人
  菓子役    小雑用   小頭     郷同心
  郷役     仲間    前裁役    隠居役
 右のうち城代は城代家老ともいい、藩主在府中は藩主に代って藩治を司り、在国中は藩主に次いで最上席に座し、藩士を指揮した。
 これには大田原氏一族の分家二家が交互にあたっている。家老は城代に次ぎ、中老はそれに次ぎ、さらに奏者番、用人、祐筆、大目付は藩の重役として御用部屋に会して総務を担当し、郡奉行は村方、町奉行は町方、寺社奉行は宗教関係、作事奉行は治水土木工事関係、普請奉行は城内普請関係、山奉行は藩直配の山林(御林という)関係、倹約奉行は倹約、奢侈の禁、前栽奉行は城内および山林外の植樹関係をそれぞれ担当したものであり、勘定役、払方、蔵方、勘定役頭取の指図の許に藩の収支関係を取り扱った。また武官と目されるものは旗奉行、長柄奉行(鑓奉行)、軍師、馬術師があり、番頭もこれに相当し、足軽等を指揮している。さらに徒士頭、徒士目付、近習、奏者番、使番、取次、小坊主、奥村、御隠居役、料理人、菓子役、小雑用、小頭は奥向勤めで、大目付、目付、代官、郷同心は警察関係の職務を執っていた。中間は日常の雑用に携さわった奉公人である。
 次に石持士外の武士並びに雑用人の扶持並びに切米は次のようである。(石持分調査未了)
   御納戸役      弐人扶持、金五両二分
   御目付役      弐人扶持、金五両(御在所勤金弐両弐分)
   奥附        弐人扶持、金五両(御在所勤金弐両弐分)
   御作事奉行     弐人扶持、金弐両弐分
   御近習番      弐人扶持、金五両(御在所勤金弐両弐分)
   御馬預り      弐人扶持、金五両
   御次詰       弐人扶持、金四両(御在所勤金弐両弐分)
   交代中小姓     弐人扶持、金四両
   御賄役       弐人扶持、金弐両弐分
   祐筆        壱人扶持九升、金三両二分(御在所勤金二両)
   御番中小姓     弐人扶持、金壱両弐分
         (以上何れも独身部屋住ハ壱人扶持)
   会所勘定役     弐人扶持、金弐両
   江戸勘定役     弐人扶持、金参両弐分
   交代徒士      壱人扶持、金三両弐分
   代官        弐人扶持、金弐両
   御徒目付      壱人扶持九升、金四両(御在所勤金弐両弐分)
   御馬役       壱人扶持、金参両弐分(御在所勤金弐両)
   御蔵方添勤     壱人扶持九升、金弐両
   御賄役払方添勤   壱人扶持、金二両
   御普請奉行     壱人扶持、金二両
   御用達       壱人扶持九升、金一両二分
   山奉行       壱人扶持九升、金二両
   御番徒士      壱人扶持、金壱両
   前栽奉行      壱人扶持九升、金三両二分(御在所勤金二両)
   仕立師       壱人扶持九升、金三両二分(御在所勤金二両)
   遠目付       壱人半扶持、金一両
   組頭坊主      壱人扶持、金三両(御在所勤金二両)
   御在所足軽     壱人扶持、金弐両(江所詰金三両)
   菓子役       壱人扶持、金弐両二分(御在所勤金二両)
   組頭        壱人扶持、金二両二分
   時鐘奉行      壱人扶持、金二両
   御鑓持       壱人扶持、金二両二分二朱
   御馬口附      壱人扶持、金二両二分
   御草履取      壱人扶持、金二両二分
   御挾箱持      壱人扶持、金二両二分
   大御門番      壱人扶持、金三分
   四ツ御門番     壱人扶持、金三分二朱
   小奉行       壱人扶持、金弐両
   小雑用       壱人扶持、金二両二分
   郷同心           (不明)
   中間小頭      壱人扶持、金二両
   並坊主       壱人扶持、金二両二分(御在所勤金二両) (部屋住小坊主金一両)
   町同心       壱人扶持、金壱両二分
   升取        壱人扶持、金壱両
   押組        壱人扶持、金弐両二分
   下廐中間      壱人扶持、金一両三分二朱
   上乗        壱人扶持、金二両一分
   人参手附
             壱人扶持、金一両二分
   掃除奉行

   御用番附人     壱人扶持、金一両
   山守        壱人扶持、金三分
   大工        壱人扶持、金二両
   郷使        壱人扶持、金一両二分
   塗師        壱人扶持、金二両
   会所小使      壱人扶持、金一両
   鉄炮師       弐人扶持、金三分
   油役        壱人扶持、金一両
   畳師        壱人扶持、金一両二分
   会所附人      壱人扶持、金一両
   桶師        壱人扶持、金一両三分
   掃除番       壱人扶持、金三分
   木挽        壱人扶持、金一両二分
   陸尺        御金借り壱人半扶持(御在所勤金一両一分)
   本山        壱人扶持、金一両一分(御金借り金一両)
   上郷出夫      壱人扶持、金一両二分
   下男        御在所勤金三分
   壁師        壱人扶持、金一両二分(御金借り金壱両)
   御金借下男     壱人扶持、金一両(御在所勤一分二朱)
   籠付        一日九合扶持、金一両二分
   鐘撞        壱人扶持
   在郷山守      壱人扶持、銭二貫文ヅツ
   次大工       壱人扶持、金一両
   町奉行附人     壱人扶持、金一分二朱
   板割        壱人扶持、金一両
   大工棟梁      壱人扶持、金二両二分
   江戸菓子役     壱人扶持、金三両二分
   同小頭       壱人扶持、金三両二分
   留守居書役     壱人扶持、金四両
   江戸錠口番     壱人扶持、金三両
   同足軽       壱人扶持、金三両
   下屋敷御門番    壱人扶持、金二両一分
   下郷出夫下男    壱人扶持、金一両二分二朱
   屋根師       弐人扶持、金三両
   御下長屋家守    壱人扶持、金二両二分
   山横目山守     壱人扶持、金一両
   坂下番       壱人扶持、金一両
   御所錠口番     壱人扶持、金二両二分
計、八十七人
   九十九人扶持九斗九升九合
   金、百七十七両余
次に藩士人数を記す
         (正徳三年(一七一三)二月改め)
   一、給人           三十人(内二人医師)
   一、中小姓          五十人(江戸共)
   一、徒士格          六十人(江戸共)
   一、坊主菓子役        十四人(小雑用を含む)
   一、小頭           八人(江戸共)
   一、足軽           八十一人(内二十四人江戸)
   一、小頭           二人
   一、御草履取中間陸尺     五十人
   一、小頭           二人
   一、小人           五十五人(江戸一人)
   一、職人           十八人
   一、町同心、上乗、郷使 小使番、会所小使  十五人
   一、御門番、升取、山横目、山守、町年寄、并武右エ門共  三十四人
   一、式部様衆         七人
   一、表、奥女中        十一人
   一、御通様女中        八人
   一、中小姓隠居        八人
   一、歩行隠居         三人
   一、心斎、妙閑、長左ヱ門、清源廟
   一、歩行格妻         七人(内とよ、金左エ門母共)
   一、寺            十三ケ寺
   一、社家           二人
   都合五百三十九人
    内、徒士以上侍百七十二人
        (内隠居 十二人)
      小頭以下 三百五十六人
      女中   二十七人
      寺社   十四人
 大田原城主の支流に二家がありこれを両家といった。藩中最高の家柄で、その禄は城主の十分の一を食み、交互に城代家老職をつとめた。
 次に四家と称するものがあり、これは旧勲を録せられたものでおおむね家老職となっている。
 次が給人家といい、前記のように医師二人を含めて三十家あり、石取りの世襲家である。
 次が扶持取でこれには小、中姓家と徒士家とあり、以上が士分でおよそ百八十戸あった。
この扶持取より給人え進ませられることは極めて少なく、ことに初期においては全くない。
 次は足軽(卒)およそ百戸あり、士分でないが戦争時には武器をとり実戦に参加し、また鉄炮隊はこの人々を中核として組織されていた。
 両家、四家、給人は各差などはあっても各邸園はいうまでもなく、領土、百姓を賜わり(知行所)、領主はこれに賦課していた。初期においてはこの知行主が直接知行地の百姓より賦課の取立てを行なっていたが、後には一部を一旦藩倉に納めさせ、係役人より年二期にそれぞれ下渡していたものである。