第二節 大田原政清等那須野の鳥類の狩猟を禁ずる

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 寛永十六年(一六三九)八月二十五日大田原左兵衛尉政清江戸邸にあり。那須美濃守資重等と協議し、各領内における鶉並びに雁鴨其他小鳥類の狩猟を禁止し、若しこれを犯したるもの、またはその関係者に罰金を科し、違犯者を密告せしものには、賞金を与うることを規定して覚え書を作製して各領内に頒布した。
     覚
一、合夫の事付うづらわなの事、
一、鶉あみの事、
一、鶉買(に)屋ど借ましく候事、付鶉生物手前にて用之儀は、手判預とらせ可申事
此旨、於江戸令申合候。随分手前の領分可申付候。愛宕、白山、日本の神由油断仕間敷候。之儀(に)候間相背者候(は)ば、誰之内之者なりとも、見合次第にとらえ、其主人江可進(もの)也
   寛永十六年八月二十五日
                     那須美濃守  判
                     大田原左兵衛尉判
                     福原淡路守  判
                     芦野民部少輔 判
                     岡本宮内少輔 判
                     大関土佐守  判

また左の規約を定めた。
     定
一、あい○仕候出人に、為過銭金子五両可出事。
一、合夫仕候者之隣、左右二間(軒)、金子一両宛可出事。
一、合夫仕候、村之代官、為過銭金子三両可出事。
一、合夫仕候、村之名主、為過銭金子二両可出事。
一、鳥買候者之宿、為過銭金子五両可出事。
一、雁鴨其外小鳥なりとも、猟師之外、鳥買に売申間敷候。在所の者なりとも、買置仕間敷候事。
一、買置仕候者、為過銭金子五両可出事。付買置候、隣左右二軒、為過銭金子壱両可出事。

右手前の餅取に横目出付候、見出し候餅指に、為褒美金子五両宛可為取候者也。(東那須室井文書)

この禁令は如何なる趣旨によって出したものであるかを詳にし得ないが、徳川家康は鷹狩を好み、これをもって武事を鍛錬し、民情を洞察するの資に供し、あるいは鶴の御成、鶉の御成、追鳥狩など称して、後には一つの儀式の如くなれり。されば幕府年中行事には、五番右に、鷹狩始として、
   民の戸ものどけき春の初鳥狩、かりにも常の道はありけり。
の歌を挙げ、二十九番の左、駒場野小鷹狩には、
   御狩する、駒場の野辺に、立つうつら、これもむかしの、しるべ顔なる。
の歌をあけた。又将軍家光は継統の後、数々武州川越、鴻巣等に放鷹のことあったを見ると、蓋し将軍を那須野に招待して小鷹狩を催さん計画があったのではなかろうか。