このうち当市内のものは次の通りである。
中居、八木沢村、西戸ノ内村、三斗内村、鷹巣村、滝野沢村、岡和久村、青木村、若目田村、上沼村、三色手村、小種島村、上宇田川村、下宇田川村、倉骨村、鹿畑村、奥沢村、市野沢村、練貫村、桜井村、福原村(一部)、大神村、大沢村、薄葉村(一部)の二十四か村である。
右の村々の内市野沢、練貫村は寛永十九年(一六四二)七月、那須資重多病のため江戸参勤を怠った咎により、所領一万石を召し上げられた時天領となり、そのまま幕末に至ったもの、中井、八木沢、宇田川の各村は、延宝九年(一六八一)二月二十五日、那須資弥が八千石加増の上烏山を与えられたおり、烏山の近郷地と替地となって、幕府直轄の天領となり、中井、八木沢は寛永四年頃(一六二七頃)開通した奥州道中沿いの要地であり、そのうえ付近の天領支配の出張陣屋を置いてそのまま幕末に至っている。
宇田川はその後天和二年(一六八二)上下に分離し、上宇田川は一時代官坂本内記の知行所となったが、元禄十一年(一六九八)旗本久世氏の知行所とかわった。また下宇田川は旗本松野氏の知行所となっている。
そのほか各村は貞享四年(一六八七)十月十四日、那須資徳が継嗣事件のため二万石の所領没収となった時天領となり、鹿畑、三斗内、鷹巣および薄葉の一部(下薄葉)大神、大沢、福原の一部は直轄天領として幕末にいたっている。(伴忠夫家文書)
なおこれらはみな中世の鎌倉街道および副街道(荷物街道ともいう)と裏日光街道沿いの要地である。
旗本領は元禄十一年(一六九八)前記各村の内、桜井、倉骨、奥沢、上宇田川、三色手および青木、若目田の内三十一石四升五合は久世氏、滝野沢、上沼および青木若目田の内百三石一斗六升四合は久留島氏、岡和久は倉橋、酒井、桑山の三氏が各々四十三石三斗八升二合六勺づつ、小種島は加賀見、加賀爪、中根、浅井、本田の五氏がそれぞれ三十一石七斗三升四合四勺づつの知行所となり幕末にいたっている。(大正三年親園村誌)
次に参考のため付近の天領および旗本領の各村の石高を別紙に掲げる。
なおこれらの天領および旗本領の成立については次の事情も考えられる。
関ケ原戦後徳川氏は天下の実権を握り、やがて江戸幕府を開くやその永続を図り、一族をもって親藩を作りさらに三河以来の家臣達を譜代大名とし、また下級の者達を旗本として己の藩屏とし、江戸への交通上の要所は直轄天領としてその守りを堅めた。そのためには各大名達の勢力増大を抑える半面、諸種の禁令を設けた。
一方旗本とした者達の安定を図るためには相当の知行所を必要とした。このため諸大名達の僅かの禁令違反も容赦なくこれを口実として取りつぶし、あるいは減封、移封を行ない、これを前記旗本達への給付地とし、または直轄地としていった。那須氏の場合もこれに当たるものではないだろうか。しかし那須氏は他の一統と共に関ケ原戦前から徳川氏に属していたため、わずかながらもその命脈だけは保つことを許されたものであろう。
注 八木沢村代官支配代官氏名及在職年間一覧には相当な誤のあることに気付いた。
例えば代官山口鉄五郎の在職年代はいろいろな資料によっても明らかであるように、寛政五年(一七九四)の八月からとみるが適当であると考えられ、したがって寛政五年から享和三年(一八〇三)までは山中、菅谷両代官との立会であったものと思われる。在職期間の二十年は八木沢に出張陣屋がおかれてから山口代官の死亡の文政四年(一八二一)五月までとすべきであると思う。なおその他にも二三誤であると思う所もあるが、その修正は今後の課題として今回は親園村誌そのままを掲載した。
第1表(弘化元年以降) |
当辺御支配村高帳 |
(伴忠夫家文書) |
旧市町村 | 村名 | 石高 |
石斗升合 | ||
金田 | 鹿畑 | 282.540 |
市野沢 | 829.135 | |
練貫 | 455.577 | |
親園 | 三斗内 | 234.313 |
鷹巣 | 204.192 | |
中居八木沢 | 1736.301 | |
佐久山 | 大神 | 340.886 |
福原 | 437.983 | |
大沢 | 73.168 | |
野崎 | 薄葉 | 204.120 |
成田 | 253.7066 | |
須賀川 | 雲岩寺 | 72.902 |
那珂 | 浄法寺 | 718.667 |
〓田 | 40.757 | |
下江川 | 塙 | 260.7042 |
高瀬 | 81.628 | |
藤田 | 173.1854 | |
西戸田 | 44.4611 | |
上江川 | 和田 | 71.655 |
舟沢 | 32.5615 | |
沼畑 | 66.332 | |
高畑 | 119.523 | |
小郷野 | 82.151 | |
鹿子畑 | 82.816 | |
金枝 | 655.001 | |
一本木 | 101.725 | |
大滑 | 92.374 | |
鍋掛 | 鍋掛町 | 527.865 |
両郷 | 両郷 | 443.730 |
伊王野 | 伊王野 | 1,269.607 |
黒羽 | 上滝 | 42.000 |
下滝 | 198.000 | |
湯津上 | 片腐田 | 348.395 |
新宿 | 214.927 | |
湯津上 | 210.138 | |
東那須野 | 沼野田和 | 376.508 |
木曽畑中 | 109.241 | |
三本木 | 246.659 | |
上大塚新田 | 76.751 | |
下大塚新田 | 39.959 | |
山中新田 | 36.810 | |
東踏懸 | 203.127 | |
西踏懸 | 179.787 | |
黒磯 | 159.661 | |
(潰地) | ||
長嶋新田 | 123.489 | |
東小屋 | 278.674 | |
大原間 | 259.077 | |
唐〓 | 123.785 | |
前弥六 | 140.603 | |
北弥六 | 173.029 | |
上厚崎 | 170.509 | |
下厚崎 | 164.647 | |
高林 | 細竹 | 13.905 |
亀山 | 6.683 | |
岩崎 | 25.105 | |
木綿畑 | 373.424 | |
湯宮 | 189.001 | |
鴫内 | 199.032 | |
百村 | 677.168 | |
油井 | 19.496 | |
以上 六拾ヶ村 | ||
総石高 15749.1618 | ||
外ニ塩谷郡後岡村 | ||
石高 135.6805 | ||
天保14年本多佐渡守知行所トナル |
第2表 |
大田原市内天領及び旗本領成立年表 |
村名 | 天領成立年代 | 旗本領成立年代 | 備考 |
市野沢 | 寛永19年7月 | ||
練貫 | 同上 | ||
中居八木沢 | 延宝9年2月 | ||
宇田川 | 同上 | 元禄11年 | 天和2年上下に分離代官知行所 |
鹿畑 | 貞享4年10月 | ||
三斗内 | 同上 | ||
鷹ノ巣 | 同上 | ||
薄葉 | 同上 | ||
大神 | 同上 | ||
福原 | 同上 | ||
倉骨 | 同上 | 元禄11年 | |
奥沢 | 同上 | 同上 | |
桜井 | 同上 | 同上 | |
滝野沢 | 同上 | 同上 | 貞享4年ヨリ元禄11年迄代官知行所 |
岡和久 | 同上 | 同上 | |
青木若目田 | 同上 | 同上 | |
上沼 | 同上 | 同上 | |
三色手 | 同上 | 同上 | |
小種島 | 同上 | 同上 | |
西戸野内 | 延宝2年文書大田原領 |
第3表 |
大田原市内旗本領 |
村名 | 領主 | 石高 | 備考 |
石斗升合勺 | |||
福原 | 芦野雄之助 | 234.1580 | |
〃 | 久留島半八郎 | 1,000.3550 | |
倉骨 | 久世平九郎 | 186.6630 | |
三色手 | 〃 | 174.9100 | |
青木若目田 | 〃 | 35.3320 | |
〃 | 久留島半八郎 | 109.0160 | |
岡和久 | 酒井岩五郎 | 43.3827 | |
〃 | 桑山弁吉 | 43.3827 | |
〃 | 倉橋三左衛門 | 43.3827 | |
宇田川(上) | 久世平九郎 | 217.1523 | |
〃 (下) | 松野鎮三郎 | 724.1617 | |
小種島 | 加々美為之助 | 31.7344 | |
〃 | 中根九郎兵衛 | 31.7340 | |
〃 | 浅井信之進 | 31.7340 | |
〃 | 本田政之助 | 31.7344 | |
〃 | 加々爪左衛門 | 31.7340 | |
上沼 | 久留島半八郎 | 215.0780 | |
滝野沢 | 〃 | 179.3790 | |
桜井 | 久世平九郎 | 65.5610 | |
奥沢 | 〃 | 397.5420 | |
大和久 | 〃 | 92.0020 | |
苅切 | 〃 | 16.0659 | |
星久田 | 〃 | 8.0500 | |
川下 | 久世平九郎 | 34.0620 | |
赤瀬 | 〃 | 33.8180 | |
平林 | 〃 | 22.4462 | |
荻野目 | 〃 | 64.8300 | |
上奥沢 | 〃 | 154.8362 | |
奥沢新田 | 〃 | 20.9418 | |
小滝 | 〃 | 1,013.7380 | |
堀米 | 〃 | 7.1580 | |
乙連沢 | 〃 | 99.9330 | |
久保 | 〃 | 500.7690 |
明治元年旧高旧領取調帳より調整 |
第4表 |
八木沢村代官支配代官指名及在職年間一覧 |
(親園村誌ヨリ) |
在職年代 | 期間 | 氏名 |
年月 | ||
天和元年 | 1.0 | 間瀬吉太夫 |
松田又兵衛 | ||
自 天和2年 | 7.0 | 坂本内記 |
至 元禄元年 | ||
自 元禄2年 | 3.0 | 滝野重左衛門 |
至 同4年 | ||
自 元禄4年 | 4.0 | 樋口又兵衛 |
至 同7年 | ||
元禄7年 | 1.0 | 八木仁兵衛 |
自 元禄8年 | 3.0 | 外山小作 |
至 同10年 | ||
自 元禄10年 | 2.0 | 江口治兵衛 |
至 同11年 | ||
自 元禄11年 | 7.0 | 下島甚五右衛門 |
至 宝永元年 | ||
自 宝永2年 | 7.0 | 飯島八郎兵衛 |
至 正徳元年 | ||
自 正徳2年 | 3.0 | 樋口又十郎 |
至 同4年 | ||
自 正徳4年 | 3.0 | 森山勘四郎 |
至 享保元年 | ||
自 享保元年 | 19.0 | 池田新兵衛 |
至 同19年 | ||
自 享保20年 | 2.0 | 林兵右衛門 |
至 元文元年 | ||
自 元文元年 | 4.0 | 藤井孫十郎 |
至 同4年 | 幸田善太郎 | |
自 元文4年 | 4.0 | 早川安左衛門 |
至 寛保2年 | ||
自 寛保2年 | 6.0 | 木村雲八 |
至 延享4年 | ||
自 寛延元年 | 10.0 | 吉田久左衛門 |
至 宝暦八年 | ||
自 宝暦9年 | 18.0 | 小林孫四郎 |
至 安永5年 | ||
自 安永6年 | 11.0 | 辻六郎左衛門 |
至 天明6年 | ||
天明7年 | 1.0 | 萩原弥五兵衛 |
飯塚常之丞 | ||
自 天明8年 | 3.0 | 中居清太夫 |
至 寛政2年 | ||
自 寛政3年8月 | 1.0 | 大岡源右衛門 |
至 同4年8月 | 篠原重兵衛 | |
自 寛政4年8月 | 0.10 | 山中太郎右衛門 |
至 同5年6月 | ||
自 寛政5月6月 | 4.10 | 菅谷嘉平治 |
至 同10年4月 | ||
自 寛政10年 | 5.0 | 竹内平右衛門 |
至 享和2年 | ||
自 享和3年 | 20.0 | 山口鉄五郎 |
至 文政5年 | ||
自 文政5年2月 | 3.0 | 古川谷吉 |
至 同7年 | ||
自 文政8年 | 3.0 | 件名友之助 |
至 同10年 | ||
自 文政10年 | 5.0 | 田口五郎左衛門 |
至 天保2年 | ||
自 天保2年 | 12.0 | 川崎平右衛門 |
至 同13年3月 | ||
自 天保13年3月 | 0.5 | 篠山藤四郎 |
至 同13年8月 | ||
自 天保13年8月 | 不詳 | 北条雄之助 |
至 弘化×年 | ||
自 弘化×年 | 不詳 | 林部善太左衛門 |
至 弘化4年 | ||
自 嘉永元年12月 | 1.0 | 竹垣三右衛門 |
至 同2年12月 | ||
自 嘉永2年12月 | 3.6 | 小林藤之助 |
至 同5年5月 | ||
自 嘉永5年5月 | 1.6 | 大草太郎左衛門 |
至 同6年10月 | ||
自 嘉永6年10月 | 0.5 | 小林藤之助 |
至 同7年3月 | ||
自 嘉永7年3月 | 0.2 | 林部善太左衛門 |
至 同7年4月 | ||
自 嘉永7年4月 | 1.6 | 設朱八三郎 |
至 安政2年10月 | ||
自 安政2年10月 | 0.4 | 小林藤之助 |
至 同3年2月 | ||
自 安政3年2月 | 1.10 | 篠本彦次郎 |
至 同4年12月 | ||
自 安政4年12月 | 2.4 | 大竹左馬太郎 |
至 万延元年3月 | ||
自 万延元年3月 | 1.2 | 内海多治郎 |
至 文久元年5月 | ||
自 文久元年5月 | 2.0 | 清水孫次郎 |
至 同3年5月 | ||
自 文久3年5月 | 0.1 | 森孫三郎 |
至 同3年6月 | ||
自 文久3年6月 | 1.10 | 中村勘兵衛 |
至 慶応元年3月 | ||
自 慶応元年3月 | 3.2 | 山内源七郎 |
至 慶応4年5月 | ||
備考 1.在職期間について明らかなるものは訂正記述せるも不明なるものは村誌記載のまま記す | ||
2.八木沢御陣屋は山口鉄五郎期の20年間である |