第五章 天領と旗本領

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 江戸時代にあって、那須氏の再度にわたる不始末のため失われた領地の内、北那須および塩谷郡のものはほとんど天領となり、元禄年間になってその一部は旗本領となっている。
 このうち当市内のものは次の通りである。
中居、八木沢村、西戸ノ内村、三斗内村、鷹巣村、滝野沢村、岡和久村、青木村、若目田村、上沼村、三色手村、小種島村、上宇田川村、下宇田川村、倉骨村、鹿畑村、奥沢村、市野沢村、練貫村、桜井村、福原村(一部)、大神村、大沢村、薄葉村(一部)の二十四か村である。

右の村々の内市野沢、練貫村は寛永十九年(一六四二)七月、那須資重多病のため江戸参勤を怠った咎により、所領一万石を召し上げられた時天領となり、そのまま幕末に至ったもの、中井、八木沢、宇田川の各村は、延宝九年(一六八一)二月二十五日、那須資弥が八千石加増の上烏山を与えられたおり、烏山の近郷地と替地となって、幕府直轄の天領となり、中井、八木沢は寛永四年頃(一六二七頃)開通した奥州道中沿いの要地であり、そのうえ付近の天領支配の出張陣屋を置いてそのまま幕末に至っている。
 宇田川はその後天和二年(一六八二)上下に分離し、上宇田川は一時代官坂本内記の知行所となったが、元禄十一年(一六九八)旗本久世氏の知行所とかわった。また下宇田川は旗本松野氏の知行所となっている。
 そのほか各村は貞享四年(一六八七)十月十四日、那須資徳が継嗣事件のため二万石の所領没収となった時天領となり、鹿畑、三斗内、鷹巣および薄葉の一部(下薄葉)大神、大沢、福原の一部は直轄天領として幕末にいたっている。(伴忠夫家文書)
 なおこれらはみな中世の鎌倉街道および副街道(荷物街道ともいう)と裏日光街道沿いの要地である。
 旗本領は元禄十一年(一六九八)前記各村の内、桜井、倉骨、奥沢、上宇田川、三色手および青木、若目田の内三十一石四升五合は久世氏、滝野沢、上沼および青木若目田の内百三石一斗六升四合は久留島氏、岡和久は倉橋、酒井、桑山の三氏が各々四十三石三斗八升二合六勺づつ、小種島は加賀見、加賀爪、中根、浅井、本田の五氏がそれぞれ三十一石七斗三升四合四勺づつの知行所となり幕末にいたっている。(大正三年親園村誌)
 次に参考のため付近の天領および旗本領の各村の石高を別紙に掲げる。
 なおこれらの天領および旗本領の成立については次の事情も考えられる。
 関ケ原戦後徳川氏は天下の実権を握り、やがて江戸幕府を開くやその永続を図り、一族をもって親藩を作りさらに三河以来の家臣達を譜代大名とし、また下級の者達を旗本として己の藩屏とし、江戸への交通上の要所は直轄天領としてその守りを堅めた。そのためには各大名達の勢力増大を抑える半面、諸種の禁令を設けた。
 一方旗本とした者達の安定を図るためには相当の知行所を必要とした。このため諸大名達の僅かの禁令違反も容赦なくこれを口実として取りつぶし、あるいは減封、移封を行ない、これを前記旗本達への給付地とし、または直轄地としていった。那須氏の場合もこれに当たるものではないだろうか。しかし那須氏は他の一統と共に関ケ原戦前から徳川氏に属していたため、わずかながらもその命脈だけは保つことを許されたものであろう。
 
   注 八木沢村代官支配代官氏名及在職年間一覧には相当な誤のあることに気付いた。
例えば代官山口鉄五郎の在職年代はいろいろな資料によっても明らかであるように、寛政五年(一七九四)の八月からとみるが適当であると考えられ、したがって寛政五年から享和三年(一八〇三)までは山中、菅谷両代官との立会であったものと思われる。在職期間の二十年は八木沢に出張陣屋がおかれてから山口代官の死亡の文政四年(一八二一)五月までとすべきであると思う。なおその他にも二三誤であると思う所もあるが、その修正は今後の課題として今回は親園村誌そのままを掲載した。

第1表(弘化元年以降)
当辺御支配村高帳
(伴忠夫家文書)
旧市町村村名石高
石斗升合
金田鹿畑282.540
市野沢829.135
練貫455.577
親園三斗内234.313
鷹巣204.192
中居八木沢1736.301
佐久山大神340.886
福原437.983
大沢73.168
野崎薄葉204.120
成田253.7066
須賀川雲岩寺72.902
那珂浄法寺718.667
〓田40.757
下江川260.7042
高瀬81.628
藤田173.1854
西戸田44.4611
上江川和田71.655
舟沢32.5615
沼畑66.332
高畑119.523
小郷野82.151
鹿子畑82.816
金枝655.001
一本木101.725
大滑92.374
鍋掛鍋掛町527.865
両郷両郷443.730
伊王野伊王野1,269.607
黒羽上滝42.000
下滝198.000
湯津上片腐田348.395
新宿214.927
湯津上210.138
東那須野沼野田和376.508
木曽畑中109.241
三本木246.659
上大塚新田76.751
下大塚新田39.959
山中新田36.810
東踏懸203.127
西踏懸179.787
黒磯159.661
(潰地)
長嶋新田123.489
東小屋278.674
大原間259.077
唐〓123.785
前弥六140.603
北弥六173.029
上厚崎170.509
下厚崎164.647
高林細竹13.905
亀山6.683
岩崎25.105
木綿畑373.424
湯宮189.001
鴫内199.032
百村677.168
油井19.496
以上 六拾ヶ村
総石高  15749.1618
外ニ塩谷郡後岡村
石高    135.6805
天保14年本多佐渡守知行所トナル

第2表
大田原市内天領及び旗本領成立年表
村名天領成立年代旗本領成立年代備考
市野沢寛永19年7月
練貫同上
中居八木沢延宝9年2月
宇田川同上元禄11年天和2年上下に分離代官知行所
鹿畑貞享4年10月
三斗内同上
鷹ノ巣同上
薄葉同上
大神同上
福原同上
倉骨同上元禄11年
奥沢同上同上
桜井同上同上
滝野沢同上同上貞享4年ヨリ元禄11年迄代官知行所
岡和久同上同上
青木若目田同上同上
上沼同上同上
三色手同上同上
小種島同上同上
西戸野内延宝2年文書大田原領

第3表
大田原市内旗本領
村名領主石高備考
石斗升合勺
福原芦野雄之助234.1580
久留島半八郎1,000.3550
倉骨久世平九郎186.6630
三色手174.9100
青木若目田35.3320
久留島半八郎109.0160
岡和久酒井岩五郎43.3827
桑山弁吉43.3827
倉橋三左衛門43.3827
宇田川(上)久世平九郎217.1523
 〃 (下)松野鎮三郎724.1617
小種島加々美為之助31.7344
中根九郎兵衛31.7340
浅井信之進31.7340
本田政之助31.7344
加々爪左衛門31.7340
上沼久留島半八郎215.0780
滝野沢179.3790
桜井久世平九郎65.5610
奥沢397.5420
大和久92.0020
苅切16.0659
星久田8.0500
川下久世平九郎34.0620
赤瀬33.8180
平林22.4462
荻野目64.8300
上奥沢154.8362
奥沢新田20.9418
小滝1,013.7380
堀米7.1580
乙連沢99.9330
久保500.7690
明治元年旧高旧領取調帳より調整

第4表
八木沢村代官支配代官指名及在職年間一覧
(親園村誌ヨリ)
在職年代期間氏名
年月
天和元年1.0間瀬吉太夫
松田又兵衛
自 天和2年7.0坂本内記
至 元禄元年
自 元禄2年3.0滝野重左衛門
至 同4年
自 元禄4年4.0樋口又兵衛
至 同7年
元禄7年1.0八木仁兵衛
自 元禄8年3.0外山小作
至 同10年
自 元禄10年2.0江口治兵衛
至 同11年
自 元禄11年7.0下島甚五右衛門
至 宝永元年
自 宝永2年7.0飯島八郎兵衛
至 正徳元年
自 正徳2年3.0樋口又十郎
至 同4年
自 正徳4年3.0森山勘四郎
至 享保元年
自 享保元年19.0池田新兵衛
至 同19年
自 享保20年2.0林兵右衛門
至 元文元年
自 元文元年4.0藤井孫十郎
至 同4年幸田善太郎
自 元文4年4.0早川安左衛門
至 寛保2年
自 寛保2年6.0木村雲八
至 延享4年
自 寛延元年10.0吉田久左衛門
至 宝暦八年
自 宝暦9年18.0小林孫四郎
至 安永5年
自 安永6年11.0辻六郎左衛門
至 天明6年
天明7年1.0萩原弥五兵衛
飯塚常之丞
自 天明8年3.0中居清太夫
至 寛政2年
自 寛政3年8月1.0大岡源右衛門
至 同4年8月篠原重兵衛
自 寛政4年8月0.10山中太郎右衛門
至 同5年6月
自 寛政5月6月4.10菅谷嘉平治
至 同10年4月
自 寛政10年5.0竹内平右衛門
至 享和2年
自 享和3年20.0山口鉄五郎
至 文政5年
自 文政5年2月3.0古川谷吉
至 同7年
自 文政8年3.0件名友之助
至 同10年
自 文政10年5.0田口五郎左衛門
至 天保2年
自 天保2年12.0川崎平右衛門
至 同13年3月
自 天保13年3月0.5篠山藤四郎
至 同13年8月
自 天保13年8月不詳北条雄之助
至 弘化×年
自 弘化×年不詳林部善太左衛門
至 弘化4年
自 嘉永元年12月1.0竹垣三右衛門
至 同2年12月
自 嘉永2年12月3.6小林藤之助
至 同5年5月
自 嘉永5年5月1.6大草太郎左衛門
至 同6年10月
自 嘉永6年10月0.5小林藤之助
至 同7年3月
自 嘉永7年3月0.2林部善太左衛門
至 同7年4月
自 嘉永7年4月1.6設朱八三郎
至 安政2年10月
自 安政2年10月0.4小林藤之助
至 同3年2月
自 安政3年2月1.10篠本彦次郎
至 同4年12月
自 安政4年12月2.4大竹左馬太郎
至 万延元年3月
自 万延元年3月1.2内海多治郎
至 文久元年5月
自 文久元年5月2.0清水孫次郎
至 同3年5月
自 文久3年5月0.1森孫三郎
至 同3年6月
自 文久3年6月1.10中村勘兵衛
至 慶応元年3月
自 慶応元年3月3.2山内源七郎
至 慶応4年5月
備考 1.在職期間について明らかなるものは訂正記述せるも不明なるものは村誌記載のまま記す
2.八木沢御陣屋は山口鉄五郎期の20年間である