第七章 米艦の渡来と大田原藩の甲胄訓練

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 嘉永六年(一八五二)六月 アメリカ軍艦水師提督ペリーは、浦賀沖に来航して、通商を求めて国書を幕府に贈呈した。幕府は諸臣、大小名に国書の写をまわして意見を徴し、また諸藩に令して兵を練り、武器を整えて万一に備えさせた。このときにあたり、藩主大田原富清は、駿河城代加番であったが、深く時勢を考えるところがあり、軍隊を編成して、士気を鼓舞しようとし、甲州流兵学者野村若衛を招いて軍師とした。
 若衛は、諱(いみな)を頼一といい、長州の人である。壮年のころから江戸に出て兵学を福田某に学び、一ノ宮加納候に仕えて信任あつかったが、故あって江戸にかえり、甲州流の兵法を島津定桓に学び、甲斐に遊び、武田氏の戦跡をつぶさに踏査してこれを研究した。
 たまたま江戸留守居役内山八郎兵衛の知るところとなり、その推薦を得て大田原藩を訪れ、同年十月主命により駿府におもむき、君候に謁見し、勤番扈従の諸士を動かして陣法を習練させたのであった。
 これより先、幕府は品川沖に砲台台場三カ所を築き、松平誠九 松平肥後守らをしてこれが防禦にあたらせた。翌安政元年(一八五四)正月十六日、米艦八隻が再び浦賀に来航した幕府は松平大膳大夫、細川越中守、井伊掃部頭に命じて海岸の警衛に当らせるとともに、大小名に、機に応じて兵を出し警護させることになったので、江戸の大田原藩邸では、急使を国元に遣して、在所から軍用金並びに米穀 薪炭などを廻送させ、また水泳に練達の壮丁二十五人 猟銃に精練する人夫五人を選抜し、馬四七頭、銃砲二十挺を江戸に送った。
 在所大田原では、同正月二十五日、城代家老大田原数馬が、藩士一同を御書院に召集して次の令達をした。
去年六月以来、異国船渡来、依て当春は、実戦にも可及程にも難計旨、従公儀御達も有之候に付ては、万一右様の儀有之候節は、上下一致して、忠勤を可相励旨、上意の趣に御座候。

 したがって警備の人数を繰り出さなければならなくなるかもしれないので、これが準備として甲胄、陣羽織は貸与することとし、その他の戦具は各自適宜用意をするように。なお手当人として給人には一両一分、中小姓には一両、徒士には二分を支給した。
 さらに二月二十八日、徒士に対して、武装用品目として、具足・指物・陣笠・陣羽織・兵糧袋は藩から貸与するが、下着・小袴・脚半・鉢巻・上帯・打替・足袋・草鞋・引敷・用意袋・用意薬等は各自用意するように申しわたした。
当時江戸勤番であった相山義倶の日記二十五日の条に、
浦賀表江渡来異国船、アメリカ王の誕生日に付、空筒を打候段、前日に断有之。既に当日十発程も大筒を打候。其音に府内迄如雷響候。

なほ二十八日の条に、
   アメリカ船、追々近海に乗込み、当日は、大師河原向迄乗入、碇泊致し居候由、
ともある。
     上大貫原の大調練
 安政三年四月九日、藩主飛騨守富清は、上大貫原で閲兵式を行った。此日夜来の小雨やみ、風静かであった。
朝五ッ時城中を進発し、先鋒総督大田原数馬(諱は愛睦)、中軍大田原一学(諱は愛敬)、藩主は後軍にあった。その隊伍は次の通りである。
 
        一ノ手
   一、惣旗奉行           土屋群右衛門
                       供人四人
        惣旗二        持人小頭三人
   一、弓鉄炮物頭         阿久津丈右衛門
                       供人四人
        弓鉄炮         足軽二十五人
   一、長柄奉行           松本豊之助
                       供人四人
        長柄足軽       十人
   一、検使             伊王野守人
                       供人四人
        貝鼓役 一人
         背負 二人
   一、士大将           大田原数馬
        先供三人、馬脇四人、小印持一人、口附二人、槍持二人、
   一、戦士組頭         福田辨司
                     供人四人
        戦士、神人、修験にて十人供人二人ヅツ
        二ノ手
   一、惣旗奉行         印南昇之進
        若党一人、小印持一人、槍持一人、口附一人
        惣旗二       持人小頭とも三人
   一、弓鉄炮頭          河野文平治
        若党一人、小印持一人、槍持一人、
        弓鉄炮       足軽二十五人、
   一、長柄奉行         山田収
        供人右に同じ、
   一、戦士組頭         大田原外衛
                     供人四人
        戦士        羽柴重太夫、武田又右衛門、人見幸蔵、久島惣一郎、大橋八郎、高橋登一郎、大田惣之助、北条小一郎、横山弥五郎
        三ノ手  (旗本)
   一、弓鉄炮惣頭        横山極人、大谷長太郎
                         供人四人ツヽ
        長柄        足軽十人
   一、検使          金枝勝治郎
        供人右に同じ
        貝鼓役       松本祥太郎、江連惣悦、羽柴久斎、金枝又新
        貝鼓背負二人
   一、士大将          大田原一学
                  先供三人、馬脇四人、口附二人、小印持一人、槍持一人、
        弓鉄炮足軽二十五人ツヽ
   一、長柄奉行         江連幸三郎、石川政右衛門
                          供人四人ヅヽ
        長柄        足軽十五人宛
   一、惣旗奉行         平野博左衛門
                    供人四人
        惣旗三本、長柄足軽   持人小頭二十五人
   一、大旗奉行         伊藤孫兵衛
                    供人四人
        大旗一本 青、赤、白三本 持人十人
   一、武者奉行         阿久津正右衛門
                     供人四人
        貝鼓役
           貝鼓背負二人
   一、御持筒組惣頭       阿久津権六
                     供人四人
        組足軽十人
   一、御先徒士
        御徒目付      飯村万蔵 羽柴重蔵
羽柴重右衛門、阿見健蔵、久利生松之進、山本朝三郎、吉沢源太、北條与惣右衛門  物持二人宛

上(藩主富清)
   一、御馬廻り
                  阿久津蔵人、小川源左衛門
     一、御槍持   三人     一、御打物持   二人
     一、御馬印持  二人     一、御床几持   一人
     一、御敷皮持  一人     一、御口附    二人
     一、御茶辨当  二人     一、御坊主    二人
   一、軍師           野村若衛
                    供人四人
   一、御目附          猪股左一郎
                    供人四人
   一、御使番          田辺源左衛門
                    供人四人
岡源太夫、伊藤貞三郎、大田原鉄之進、印南民之助、内山七郎兵衛、池沢鉄三郎、程島平三郎、秋元平馬

   一、御医師
                  矢野良迪、菊池文太
                  供人三人宛
   一、御祐筆
                  安見善兵衛
                    供人物持共三人
   一、戦士組頭         若色小兵衛 藤田銀之助
                    供人四人
一、戦士           長尾内蔵右衛門 阿久津金橘 滝田胤八郎 阿久津武太夫 佐藤鉄次郎 渡辺惣左衛門 松本新兵衛 江連銀蔵 阿久津直太郎 渡辺久三郎 大塩丈之進 平野良之助 松本八百喜 阿久津良右衛門 権田峰蔵 福田健太郎 渡辺彦之助 阿久津直次 滝田環 飯村三郎兵衛 若色兼二郎 落合喜右衛門

                                   供人二人宛
   一、大炮奉行         大田原兵部 早川荒太
                          供人四人宛
        同教導       内山伊織 同新助 原田半蔵 杉江甲八郎 北條亮釆 渡辺亀八郎
                                           供人二人宛
                                         同引夫 三十人
                   同六挺折人足二十五人
    一、兵粮奉行兼陣場奉行    岡麻之助
                    供人四人
        兵粮方       久島惣三郎 江連半之助 八木沢喜作
                    足軽十人餘
    一、御留守番         杉江市之進、阿久津三左衛門
    一、御玄関番         権田峰蔵、柏原半蔵
    一、食事掛          中島酉之助
    一、御家中内外火ノ番     形部定次郎
    一、会所当番         佐藤才助
    一、御代官          北條与惣右衛門
四ツ時ごろ調練が開始された。旌旗天を蔽い、金鼓昿野に鳴り響き、士馬歩卒、進退攻撃の状恰も実戦を賭るが如くあった。凱旋の式におよび、夜五ツ時一同帰城した。越えて同十八日、藩主、士大将並に戦士の労を犒(ねぎら)い、城中において酒饌を賜い、その他には銀壱匁宛を下賜した。特命して軍事総督大田原数馬に黄金装兜一領を賞し、御持物組頭阿久津権六に押鉄壱個、軍師野村若衛に陣羽織一襲、甲胄製作方大橋八郎に上下一具、御作事奉行松本新兵衛、大炮車台製作掛大塩丈之進に目録百五十疋、外に陣場太儀ニ付目録銀壱両宛、同大炮車台掛阿久津良右衛門に目録百五十疋、兵粮方久島惣三郎、江連半之助、兵粮奉行岡麻之助其他貝鼓役之銀壱両下賜した。数馬賜兜記を作り寵賜を記念した。
 
維安政三年、歳丙辰、今公傅令封内、将大簡兵賦因命余総督其事。余奉命、周旋其甲仗、調兵馬。公乃発命、以其四月九日、大蒐干城西那須野、余以先鋒隊長而従、閑坐作進退攻撃馳駆之事、遂及首級、奏凱歌典。薄暮始畢事、振旅而旋。於是公大喜、行慶典、各有差。余以特命、賜金飾兜鍪。且賞日、汝為我総兵事、士馬精選、甲仗備具、足以有待、一汝力也。自今而後、汝益体我志、成聚教訓、莫敢有一レ懈。余再拝謝日、臣何力之有。雖然既忝重任之命、加以寵貺之典、臣曷不敢努力、以奉一レ命乎但願不使寵貺特止臣躬、子孫継臣者、永 奉、欲不隕墜。遂拝賜而退時四月十有八日也。聊書其概、以示来裔云。 丹治愛睦識

 
四月九日、大調練を行い、翌十日大貫道原にて武衛流火術を試み、目標二百五十間に、大炮三百目玉、五百目玉十三発を発射したが、的中は少なかった。余興に花火昼四十本、夜四十二本をうち揚げた。町内、在方近郷より見物のもの群集して、前代未聞の盛観であった。当時藩士某からの情況を知人に報知した書面の一節に、
一、調練も去九日相済申候。見物は、このいぜんの人より余程沢山の趣に御座候。酒屋、族籠屋、茶屋は、銭金落ち候は、大凡四百両程も落候咄に御座候。中川やは九日斗にて二十八貫程取候。酒は日野屋は六尺桶壱本売払候。酒代金見積三十両余りの趣に候。十日花火にて猶又夫丈ケ売候趣、大凡両日にては御城下へ落候銭金多分有之候咄に御座候。(上下略)
      〓三月
右の通、従公儀御触有之候ニ付ては、鐘、梵鐘所持の分は、大小寸法等相認郡奉行江、早々可申達候。
 
                       郡奉行江
海岸防禦の為、此度寺院之梵鐘、本寺の外、古来之名器及び当節時の鐘に相用候分相除、其余は可換大炮小銃の旨、従京都仰進候。海防の儀、専御世話有之候折柄、叡慮の趣、厚御恩戴被遊候事に候間、一同厚相心得、海防筋之儀、弥可相励候旨被仰出候。尤右の趣、諸寺院江は、寺社奉行より申渡候間、被其意、取計方等、委細の義は追て可相達候。

 
同正月二十五日、城代家老大田原数馬は、藩士一同を書院に召集して、外船渡来して非常事態である旨を令達した。