宿場の夜にともっているこの灯篭を見ては、町の人達も平和な大田原の姿をしのび、旅ゆく多くの人達も道中の安全を心から祈つたであろう金灯篭であった。
灯篭にはこれを建てた三十八名の名が記され、当時の大田原宿の面影をしのぶ貴重な文化遺産であったが、昭和十九年大平洋戦争末期の金属回収には勝てず、幾多有志の反対も空しく、供出せねばならなかった。
百五十年の移りかわりの間には、三十八名の中の幾人かは大田原から名を消している方もいるが、往時の屋号をそのまゝに現在も益〻栄いておられる方々もある。
この金灯篭の台石に刻まれた「江戸」「白川」の文字は、旅人の道しるべとなって懐中の旅日記にもその名が記されたものと思われる。
この灯篭は鹿沼の鋳物師小野口惣兵衛が鋳たものであった由である。戦後も金灯篭の名を惜しみ、なつかしむ人々の手で、百人講がおこされ、高林三斗小屋の温泉神社の境内に形は稍小さいが、製作年代も近く大変よく似たものがあったので、これを譲りうけ、昭和三十年七月益子万吉元市長が中心となり再建したが、交通事情もあり、昭和三十五年足利銀行前の現在地に移された。
写真 元上町十字路の中央にあった金燈篭
以下は旧金灯篭に刻されていた三十八名の氏名である。
町内安全
町年寄 岡本角左衛門
町名主 津久井新助
釜屋 新三郎
三川屋 茂兵衛
藤屋 十右衛門
大和屋 吉左衛門
肴問屋 孫右衛門
大和屋 定兵衛
日野屋 文蔵
永井屋 藤八
清水屋 武兵衛
佐野屋 徳太郡
濱屋 弥十
若野屋 吉蔵
叶屋 礒右衛門
太田屋 藤兵衛
紙屋 重兵衛
近江屋 五郎右衛門
塩屋 甚右衛門
片岡屋 □助
福島屋 太郎兵衛
佐野屋 久七
八幡屋 善七
小林屋 茂兵衛
藤屋 吉助
菊屋 宗兵衛
丸屋 源七
万屋 吉右衛門
中田屋 久助
近江屋 藤四郎
相馬 太七
世話人
田代屋 孫兵衛
釜屋 小兵衛
大和屋 吉兵衛
伊勢屋 半左衛門
米屋 喜助
和泉屋 岩兵衛
文政二己卯年(一八一九)
十月吉日