第三節 実相院のさかさの幽霊

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 現在の実相院の本堂は、同院二十四世瑞門和尚の建築にかかるものであるが、その建築当時の話である。
「実相院の本堂には幽霊が出るそうな、しかもその幽霊は雨の日にかぎってさかさに歩くそうだ、その証拠には翌朝行ってみれば本堂の大桁(けた)には、必ず大小いろいろな幽霊の足跡が残っている。」
「幽霊に足などあるものか。」
「それが大桁に足跡を残しておくから不思議なのだ。」
「あの足跡には新しいものは一つもないぞ。」
 こんな話がいつの間にか町の噂になり、人々の口の端にのぼるようになった。調査をした結果この大桁の足跡は、雨の日もいとわずに建築にはげんだ住職瑞門和尚のものと、檀徒米蔵のものであることがわかった。
 たまたま領主仏参の折、家来がこれを見付け、領主にわからぬようぬぐい取ろうとしたが間にあわず、真新しい大桁に幾つもの足跡のあるのが目に止ってしまった。家臣が恐縮して委細を申上げると、領主は、
「瑞雲和尚と檀徒米蔵とは、本寺の建立には一方ならず骨を折り、お陰で立派な寺院になったと聞き及んでいる。この寺の記念のためにもそのまゝ残しておけ、やがて本寺の寺宝ともなろう。」と言われたとか。
 実相院三十四世森善隆和尚(現住職鮮朗氏は三十六世)はこの足跡の由緒を額面に書き本堂に掲げた。(写真5)

写真5 瑞門和尚の足跡の由来を書いた森善隆和尚の額

「抑々当山ハ延享年間中叟守的和尚ノ開山ニシテ九代節外和尚ノ時福原家ノ香華院トナリ寺録ヲ受ケシガ文化五年当宿大火ノ際当山モ亦不幸烏有ノ災ニ罹り其ノ後久シク荒廃ニ帰セシガ二十四世瑞門和尚ニ至リ始メテ伽藍再興ノ大願ヲ起シ以テ今日ノ結構ヲ見ルニ至レリ。当時再築ノ工ヲ起スヤ赤羽米蔵ナルモノアリ己ガ菩提寺ナルノ故ヲ以テ丹精ヲ抽ンデ其ノ工ヲ補佐シ殆ンド寝食ヲ忘ルル有様ナリキ、今口婢ヲ按ズルニ一日八間ノ桁ヲ取付クルニ当リ大雨ハイ然トシテ降り従工ニ堪ヘザルモノアリシガ瑞門和尚及ビ米蔵ハ稀有ノ大力ニシテ且道念厚カリンガ為サシモ大ナル木材ヲ然モ他ノ手ヲ労スルコトナク両人ノミニテ丈余ノ上ニ取付終レリト而シテ今日桁面ニ認ムル処ノ斑点ハ是即チ和尚ト米蔵トノ足跡ナリト伝ヘラレル、仰イデ其ノ足跡ヲ見ルノ時当時ノ状勢ホウフツトシテ転タ懐古ノ情禁ズル能ハザルナリ。今ヤ古ヲ去ルコト愈々遠クシテ和尚非凡ノ道力ト米蔵ガ格外ノ丹精トガ遂ニイン滅スルヲ遺憾トシテココニ其事跡ヲ以テ後昆ニ伝ヘントス」と。