第四節 藤沢村・高橋村・花塚の移民

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 藤沢村とは元佐久山町の藤沢であり、高橋村とは同じ佐久山町の高橋である。花塚は村ではなく佐久山領内の一部落であった。いずれも徳川時代には、佐久山領主福原氏の領地であった。
 藤沢には現在二十二軒、高橋には七軒、花塚には十一軒の北陸よりの移住農家があり、浄土真宗正浄寺の檀家で、現在まで四代から五代になりいずれも恵まれた生活を送っている。藤沢村名主諏訪家の古文書及び移住農家の調査により、入植の在り方等を考察することとする。
 藤沢・高橋両村とも戸数十軒程度の小規模な村であったようで、その初代は越中・加賀の出身者であり、各戸の移住については、代々の言い伝えの他に記録的なものは殆んど残っていない。