第三節 宇田川村と片府田村の秣場争論

878 ~ 886
 これは旗本(久世氏、松野氏)領宇田川村と幕府直轄領片府田村との秣場争論である。場所は宇田川の東南、蛇尾川の左岸地域、片府田地内冨土山腰通り、字野山、字蛇田台、字後口原、字下夕川原、字あせご台の地、ここは前々から倉骨村、鹿畑村、奥沢村、新宿村、片府田村、宇田川村六か村の入会秣場であるのを、片府田村ではこの場所で秣刈りをせず、宇田川村地内の滝沢、滝沢川原、滝下の三か所こそ入会秣場であり、片府田地内に入られることは困るので、正しい裁決をして貰いたいと幕府に訴え出たことから始まる。
 これが取調に対して片府田村では、前記六か所は元々片府田村のもので、決して入会地ではなく、その証拠には、その地内には片府田村の百姓の耕作地があり、そのための税の負担(高受)もしている。という言い分である。
 そこで幕府では係り役人江川太郎左衛門及び万年七郎左衛門並びにその手代二名を派遣して実地に検分をさせたところ、右の六か村は片府田村の地内にあり、しかも片府田村の農民の耕作地であり、税負担(高受)もしていることに間違いなく、宇田川方のいう入会地とはそれよりも東北の台地、上平野のことで、これは宇田川、片府田、新宿、鹿畑、倉骨、奥沢、赤瀬、大和久八か村の入会のことであると裁断した。そこで近接組合村々の代表者が集り相談した結果、安永四年(一七七五)示談成立となっている。
(係り役人江川太郎左衛門は伊豆韮山の代官で、その子太郎左衛門(襲名)は幕末の先覚者、大砲鋳造、民政功労者として有名である。)
   差上申済口証文之事
 宇田川村訴上候ハ相手片府田村地内字冨士山腰通り、字野山、字蛇田台、字後口原、字下夕川原、字あせご台、

右六ケ所ハ前々より秣場ニテ倉骨村、鹿畑村、奥沢村、新宿村、片府田村、宇田川村都合六ケ村入会ニテ秣刈来り候処地元片府田村差障秣為刈取不申却而宇田川村地内字滝沢、字滝沢川原、字滝下右三ケ所ヲ入会秣場杯と申掛難渋之趣申上候

一 片府田村答上候ハ宇田川村より申掛候字六ケ所之義ハ字も相違仕字湯坂上、字上原、字加丹沢、字堀田、字あせごと申場所ニテ湯坂上ハ百姓持林、其外御高受之田畑之地所ニ而前々より入会場無之且字冨士山下境塚ヨリくぞつぱ見通し内ハ片府田村地内ニ相違無之旨申上候

右出入御吟味之上猶又地所為御改江川太郎左衛門様 万年七郎左衛門両御手代被差遣御糺御座候処宇田川村申立候六ケ所之義字湯坂山ハ木立山ニ而秣場ニ無之其外之義ハ片府田村田畑耕地之名所ニ而尤田畑之間ニ御高外芝地有之候得共入会秣場とハ不相見へ且字冨士山下よりくぞつぱへ見通し宇田川村、片府田村両村地境ニ而右見通し内ハ片府田村地内前々川欠之損畑三反歩余有之旨片府田村申立宇田川村ニ而ハ両村地境之義ハ蛇尾川端片府田村地内用水堰際之欠上松山よりくぞつぱへ見通し右松山より北之方ハ欠通り見上ケ境ニ而片府田村申立候字冨士山下よりくぞつぱへ見通し内ハ宇田川村地内字滝沢川原畑数四拾九数之川欠壱町壱畝歩并ニ字滝沢之内川欠畑壱反歩余、都合壱町壱反壱畝歩程之場所ニ候趣申立御吟味中ニ御座候処入会秣場組合并ニ隣郷村之役人共取扱内済為仕度奉願則双方へ異見差加へ候処双方共ニ納得仕出入内済仕候訳左ニ申上候

一 宇田川村申立候片府田村地内字冨士山腰通り、字野山、字下夕川原、字蛇田台、字後口原、字阿せこ台右六ケ所ハ蔵保根村(倉骨村)、鹿畑村、奥沢村、新宿村、宇田川村、片府田村都合六ケ村秣場と申立候得共村々入会場之義ハ上平野と申蔵保根村、鹿畑村、奥沢村、新宿村、片府田村、赤瀬村、大和久村右七ケ村先芝地ニ而尤右村々田畑荒地も少々入交り候得共右場所ハ前々より秣場ニ相極り宇田川村ハ地先ハ無之候得共前々より入会ニ差加へ都合八ケ村之入会秣場広野ニ御座候

右入会秣場境片府田村之方ハ右村地内字冨士山木立際右冨士山より南之方湯坂山と申木立山之立木際夫より新宿村御林立木際通リヲ入会境と相心得夫より西之方片府田村地内へ入会候義無之右入会場之外片府田村田畑之間ニ御高外之芝地有之候得共当郡之義ハ都而芝地脇ニ付片府田村ニ不限田畑間之御高外之芝地有之候村方多候得共他村より入会秣刈取候義ハ無之候得共宇田川村ニ限リ片府田村之田畑間々ニ御高外之芝地へ入会秣刈取来り候と申謂無御座候間以来共ニ八ケ村入会字上平野之外宇田川村之者共片府田村地内へ立入秣等決テ刈取不申様取扱候処納得仕候間其通相極申候

一 宇田川村、片府田村地境之義ハ字冨士山下ヨリくぞつぱへ見通し境ニ而右見通し内ハ御高受畑川欠損地三反歩余有之片府田村地内之段同村申立宇田川村ニ而は右見通し境とは相違ニ而右見通し内は宇田川村地内字滝沢川原畑数四十九枚之川欠反別壱町壱畝程之川欠検地有之宇田川村地内之段同村申立候論所改反別五町歩余有之候由依之右論所之通り七ト三ト之積ヲ以右五町歩余之所三町五反歩余ハ宇田川村地内壱町五反歩余ハ片府田村地内之積りニ取扱候処右之通りニ而ハ双方より申立候御高内畑之川欠地所へ不差障候ニ付少茂申分無之旨双方共ニ申立候間則双方并ニ取扱人立会右地所割渡し境杭相建両村地境ニ相極申候

右出入書面之通り相扱候処双方共ニ聊申分無之納得仕相互ニ意趣遺恨も不相残和睦仕出入内済仕偏ニ 御威光と難有仕合奉存候然ル上ハ右一件ニ付御願ケ間敷義申上間敷候 為後証双方并ニ取扱人連印済口証文差上申処如件

                               小林孫四郎御代官所
                                    野州那須郡鹿畑村
                                       組頭 与右衛門
                                       名主 久左衛門
                               同 御代官所
                                    同州同郡 新宿村
                                       組頭 十蔵
                                       名主 四郎左衛門
                               松野孫太夫知行所
                                    同州同郡 同村
                                       組頭 定四郎
                                       名主 与右衛門
                               久世平九郎知行所
                                    同州同郡 蔵保根村
                                       組頭 伊佐衛門
                                       名主 太郎右衛門
                               同 知行所
                                    同州同郡 奥沢村
                                       組頭 藤右衛門
                                       名主 亀右衛門
                               大田原飛騨守知行所
                                    同州同郡 大和久村
                                       組頭 元右衛門
                                       名主 治部
                               同 知行所
                                    同州同郡 赤瀬村
                                       名主 条右衛門
                               久世平九郎知行所
                                    同州同郡 三色手村
                                       名主 忠治
                               加賀美甚治郎知行所
                                    同州同郡 小種島村
                                       名主 治郎兵衛
                               加賀爪藤八郎知行所
                                    同州同郡 同村
                                       名主 庄右衛門
                               本田隼人知行所
                                    同州同郡 同村
                                       名主 斎宮
                               小林孫四郎御代官所
                                    同州同郡 福原村
                                       組頭 文六
                                       名主 条右衛門
                               那須与一知行所
                                    同州同郡 同村
                                       組頭 文平
                                       名主 岡之丞
                                       名主 治郎右衛門
                               小林孫四郎御代官所
                                    同州同郡 片府田村
                                       百姓代与惣右衛門
                                       組頭 兵助
                                       名主 友八
                                       〃  源蔵
                                       〃  儀右衛門
                                       〃  助右衛門
                               久世平九郎 松野孫太夫知行所
                                    同州同郡 宇田川村
                                       百姓代与治右衛門
                                       組頭 安右衛門
                                       〃  宗兵衛
                                       〃  折右衛門
                                       〃  伝右衛門
                                       名主 幸蔵
                                       〃  茂右衛門
 
    御評定所
 
     江川太郎左衛門様
         御手代
           川村陽兵衛様
     万年七郎左衛門様
         御手代
           里見政治郎様
右両御手代様御見分御改之上地所絵図面御仕立被遊御評定所ヘ御上り被遊候 絵図面写扣双方惣代之者連印ニ而引訳申処如斯御座候以上

                                   宇田川村訴訟方
      安永四未年                            名主 茂右衛門
         七月 日                          〃  幸蔵
                                       組頭 伝右衛門
                                       〃  折右衛門
                                       〃  宗兵衛
                                       百姓代与治右衛門
                                   片府田村相手方
                                       名主 助右衛門
                                       〃  儀右衛門
                                       〃  源蔵
                                       〃  友八
                                       組頭 兵助
                                       百姓代与惣右衛門
(宇田川文書)