第四節 滝野沢村、岡和久村と大神村との争論

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 これは旗本久留嶋勝太郎知行所滝野沢村及び旗本倉橋惣重郎、同酒井吉重郎、同桑山重郎右衛門知行所岡和久村と、幕府直轄領大神村(代官山口鉄五郎支配)との村境界及び秣場の争論である。
 両者は箒川を挾んで、南(右岸)に大神村、北に滝野沢村、岡和久村があり、その間は箒川氾濫原が広がっている。川筋が氾濫原の中央部である場合には大きな混乱は無かったようであるが、洪水ごとに川筋がかわり、川筋を従来からの境界としていた習わしに混乱が起こり、これが争いの原因となったものである。
 両者は文化六年(一八〇九)話合いの上で境界を定めることとなり、
 ○現在までの開懇地で、税の負担(高請)をしている田畑以外今後一切新田の開発をしてはならない。
 ○秣の刈り取り場所は従前通り両者の入会とすること。
 ○鮎簗はどこへかけても適当な場所でよい。
 この三つの取り決めを行ない、証文の取りかわしをしている。
  為取替申一札之事
一 滝野沢村岡和久村と大神村地境相訳り不申候ニ付双方立会相談之上境引仕候、滝野沢、岡和久村ニ而申候ハ佐久山境長塚之塚より小種嶋村八幡江見通しと申之、大神村ニ而者右長塚より小種嶋村道心〓(ママ)江見通しと申之相互相訳不申候ニ付右村八幡と〓(ママ)之中程ヲ以〓(ママ)前之供養塔と長塚の境塚へ見通し相定申候、尤小種嶋村地境と弐百四拾八間之間者双方五間宛相除キ左右拾間場者相互入会可致候夫より上三百三拾弐間佐久山境長坂塚迄者御田地入会場ニ而御高請畝歩限手入可致候相互ニ新田畑致間鋪尤秣場之儀者是迄之通入会可致猶亦鮎簗之儀者川瀬何連附寄候共出会簗ニ相極メ申候依之向後違乱為無之引替証文依而如件

                               大神村
                                名主新右衛門
     文化六巳年                        組頭忠左衛門
                                百姓代庄左衛門
        滝野沢村
          御役人 甚兵衛殿
           〃 茂右衛門殿
        岡和久村
          御役人 久八殿
(滝岡、大島家文書)

 
 以上のようにこの期には両者は話合いにより境界を定めたが、これより前元禄年間(一六八八~一七〇四)箒川左岸の片府田、新宿、上蛭田、下姪田の四か村と右岸の十五か村(村名不詳)が箒川原の秣場並びに漁業権をめぐって大争論があり、幕府評定所より役人が出張し、実地見分の上裁決されている。その際両者境を定め、この両者間では裁判沙汰はなく平和裏に話しが進められている。
 次の文献は文化十二年(一八一五)、佐久山宿と滝野沢、岡和久両村間に起こった争論の際、関係村として大神村、沼村、小種島村が立ち会い、その際前年(文化六年)に定めた両者の約定をさらに確認し合ったものである。
   為取替申議定証文之事
一 大神村、滝野沢、岡和久村地境之儀前々よ里不分明ニ付此度右両村得と相談之上致取極メ双方立会之上境別いたし則此度相極メ候通り以後相守り末々境之儀ニ付相互ニ出入無之様可仕候旨取極メ候趣議定左之通り

一 此度両村地境取極メ候儀者元禄年中片府田村、新宿村、上蛭田村、下蛭田村右四ケ村より川南拾五ケ村江相掛り川筋并秣場出入奉出訴御高判頂載被相附訴答罷出御吟味奉請候所為御見分と地改御手附衆被遊御下り地所御改之上分検絵図面御仕立訴訟方四ケ村と相手拾五ケ村之儀者秣場并箒川通殺生之儀者入会可仕旨被仰付御裁許相済ミ御奉行所様被遊御裏印右絵図以此度分検いたし大神村と滝野沢、岡和久村と両村境可申筈取極メ仕候事

一 去ル亥年佐久山宿より滝野沢、岡和久村江相懸り地境并秣場江差障り候出人

  曲渕甲斐守様江奉出訴双方御吟味中ニ御座候所扱人立入帰村之上境引仕候趣ニ相成然上ハ大神村之儀も為立会之上境を可相極由御奉行所様より被 仰渡候ニ付大神村ニ而も地所江罷出立会可申由其節訴答より大神村江申来り候ニ付則大神村ニ而も引合同様ニ而論所江罷出訴答并大神村立会地所改之上塚ヲ築佐久山宿と滝野沢、岡和久村と大神村と三方境塚と相極メ候段内済之趣
  御奉行所様被遊御聞済候ニ付三方塚と末々相極り熟談内済相調候ニ付此度境引之儀者右三方限り壱番と相定夫より裾之儀者元禄年中御裁許川筋入会絵図面ヲ以分検いたし大神村と滝野沢、岡和久村と右両村之境を相定可申筈取極候事
一 大神村、滝野沢、岡和久村双方地所江罷出境引仕候節者沼、小種嶋村両村地先キも懸之候得ハ右両村之儀も為立会右村より向後故障無之様可仕様双方より申遣由取極候事

一 御裁許絵面ヲ以分検仕候趣ニ取極メ候上ハ双方相談之上分検之儀相心得以相頼且亦分検入用之儀ハ両村割合ニ可仕旨取極候事

一 御裁許絵図面を以て分検仕両村境と相極候上ハ互地田畑江相掛り候か縦へ如何様之儀ニ罷成候共 御高判絵面分検通り境と相定相互ニ違乱申間敷様取極候事

一 此度分検ヲ以境を相極メ候所箒川附之儀ニ御座候得ハ出水之度毎相変候場所ニ御座候ニ付分検絵図面双方ニ而此度相仕立両村役人致裏印絵面相互ニ為取替置変地仕候而も双方引替絵図面を以向後相分り候様可仕旨取極メ候事

一 此度両村より罷出分検境引之節相互ニ相論仕間敷且亦両村小前之もの共申争へ憤り合仕候ハハ両村役人急度差押へ決而相争為致間敷旨取極メ候事

右ケ条之通り両村申談し納得之上致取極メ議定仕候、然上者前書取極メ之通り相互ニ無違乱立会之上致境引塚を築末々出入無之様両村境を可相定旨議定連印仍而如件
                         山口鉄五郎御代官所
                              野州 那須郡大神村
                                  名主  助右衛門印
    文化十四年                         組頭  新右衛門印
       丑三月三日                      百姓代 紋右衛門印
                         久留嶋勝太郎知行所
                              同国 同郡 滝野沢村
                                  名主  為八印
                                  相談  重郎衛印
                                  組頭  倉之助印
                                  百姓代 藤右衛門印
                         倉橋惣重郎知行所
                              同国 同郡 岡和久村
                                  名主  武兵衛印
                         酒井吉重郎知行所
                              同国 同郡 同村
                                  名主  茂兵衛印
                         桑山重郎右衛門知行所
                              同国 同郡 同村
                                  名主  要助印
(滝岡、大島家文書)

 
 なおこの境界確定については村々の役人外の百姓(小前百姓)達もその議定に対し納得している。即ち境界確定地にある開発地についての税については、どのように工面してもその責任を果たす、また役人達を恨むようなことは一切しない、また境界が自分達の耕地内(生地)に入っても異議がない、それについて喧嘩、口論、高声、つかみ合い等のことは一切しないとの小前達連名連印の誓約書を村役人に差し出している。
   小前一統納得之上差出し申議定証文之事
一 此度大神村と滝野沢、岡和久村川原地境不分明ニ付後日ニ違変無之様大神村之分見裁許絵図面ヲ以テ分見有心仁ヲ双方ニ而相頼ミ境引致シ相互ニ絵図面一札等取替セ可致候様議定仕候処左心得バ諸入用等相掛り困窮之小前一統難儀仕候夫ニ付川原地滝野沢、岡和久両村秣場江切開候新発之内御年貢之代と相心得両村御役人衆中立合之上錏何貫文位と婦み分ケ夫々之錏銭永々差出し此錏永ヲ以テ此度之諸入用御用之間不相掛ケ違乱無之可差出ス事

一 双方両村罷出境引之節分見等ニ而茂相違仕万一高請御用地等ニ而茂相掛り亦ハ諸式六ケ敷儀出来其儘ニ難捨置公訴ニ而も相成候カ亦ハ大神村と出入被申懸候節ハ諸入用多分ニ相掛リ左候得バ新発致し候もの少人ニ御座候得ハ甚難義仕候、其節ハ小前一統面高割合ヲ以テ諸入用差遣へ無之被仰越次第同限等無違刻差出可申候、万一右入用差支へ違変ニおよび候者在之候ハハ御地頭所ニ相願候而御差紙被相附候而も大切之入用之儀ニ御座候得ハ御恨ミ決而不致御役人衆中立合之上家財売払候而も御用之間不相掛ケ入用差出シ可申事

一 出入勝負之儀ハ何様ニ相成候而も御公意ニ御座候得ハ決而御恨ニ申間敷事

一 熟談境引之節生地之内江引込候共各々方議定取替セ致し候上ハ少茂違乱申間敷事

一 双方両村罷出境引之節喧𠵅口論高声取合決而致ス間敷事

右ケ条之通小前一統納得之上議定連印差出シ候上ハ毛頭違乱無御座候、為後証之指出シ申連印一札仍而如件
                                 滝野沢村
                                    幸七 印
                                    佐源次印
                                    軍次 印
                                    為蔵 印
                                    伴治 印
                                    文次郎印
      文政十四年丁丑三月          菊次 印
          連印議定           民蔵 印
                         政蔵
                         彦兵衛
                         丑松
                         利兵衛
                         辰五郎印
                         栄蔵 印
                      岡和久村
                         善兵衛印
                         長兵衛印
                         作兵衛
       滝野沢
          >両村
       岡和久
         御役人衆中
(滝岡、大島家文書)