第二節 奥州道中

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 本項は大田原市役所勤務の益子孝治氏著「奥州道中」の記事の中から一部抜粋している。
 道は「けもの道」から発達して、現代では人が歩く道ではなく、交通機関としての道に変り、人が作り出した道路へと移って来た。
 この道路には何の潤いもなければ楽しみもない。時間をかけないで早く目的地につくための通路でしかない。
 旧街道には積み重ねられた長い歴史があり、かつての文化があり、人々の喜びも悲しみもある。奥州路も奥州街道としてよく人の知るところであるが、かつては江戸幕府が道中奉行を置いて管理した近世交通の要路、五街道の一つに数えられたもので、下野国宇都宮から奥州白河までの街道をいったものである。
 奥州道中は奥州路への廊下であり、当時もっとも整備された道であったのである。このあまり知られていない街道を、先人の足跡を、文化や歴史を、消えゆく街道に訪ねてみたい。(益子氏は二ケ年にわたり、愛用のバイクを頼りに、そして各方面の古文書等を参考にこの「奥州道中」を書き上げたと言っている)