第一章 神社総説

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 わが国の神社が古代にさかのぼり、系統的に記されているのは、延喜式であるが、延喜式神名帳に記載されている式内社は、下野国にあっては十一座を数えることができる。すなわち、
 都賀(つか)郡   三座
 河内(かうち)郡  一座
 芳賀(はかの)郡  二座
 那須(なす)郡   三座
 寒川(さむかわ)郡 二座
 であり、那須郡の三座とは
 健武山(たけむやまの)神社(那須郡馬頭町健武)
 湯泉(ゆの)神社 (那須郡那須町湯本)
 三和(みわの)神社 (那須郡小川町三輪)
である。ただし元禄年間(一六八八~一七〇四)下総国結城郡小山庄が本県都賀郡に属したので、同地に鎮座の式内社高椅神社(たかはしじんじゃ)が栃木県に移り、本県の式内社は十二社となった。このことは神社史にとってはきわめて大切なことであり、神社誌などに白雉何年、大同何年の創建などを見受けることもあるが、よくよく注意すべきことであると思う。那須郡にある三座については、
「続日本後紀」 仁明天皇四年
 承和二年(八三五)二月戊戌(二十三日)の条に
 下野国武茂神奉従五位下、此神坐沙金之山   とあるのが初見であり、
「続日本後紀」 仁明天皇七年
 承和五年(八三八)九月辛酉(六日)の条に
 下野国那須郡三和神預之官社
「日本三代実録」 清和天皇七年
 貞観(じょうかん)五年(八六三)十月七日の条に
 丙寅、授下野国従五位上勲五等湯泉神(ゆのかみ)従四位下
「日本三代実録」 清和天皇十六年
 貞観十一年(八六九)二月二十八日の条に、
 丙辰、進下野国従二位勲四等二荒神階 正二位、授従四位下勲五等温泉神従四位上
「日本三代実録」 陽成天皇三十八年
 元慶(ぎょう)四年(八八〇)八月二十九日の条に
 庚戌、授下野国従五位下三和神正五位上
「日本三代実録」 光孝天皇四十七年
 仁和元年(八八五)二月十日の条に
 丙申、授下野国正五位上三和神祗従四位下
 などが見えるが、大田原市内にはこのような神社を見出すことはできない。
 古代にあっては、由緒ある神社に対して神位や神勲が授けられたことは前記那須郡の三社の例の通りであり、神位は孝謙天皇の天平勝宝元年(七四九)八幡神に一品(ぽん)(一品(ぽん)は一位にあたり、品は親王などに賜わる階位で、一品から四品まであった)を、比咩神(ひめがみ)(平野神社の祭神)に二品を奉ったのに始まる。仁明天皇朝(八三三~八五〇)には一百四十社に位階を授けられ、清和天皇の貞観元年(八五九)正月には京畿七道の諸神二百六十七社に授位のあったことの記載がある。
 その後もしばしば授位のことがあったが、応仁の乱(一四六七)後は朝廷の権威はおとろえ、神祗官はあっても名のみとなり、その職掌が卜部(うらべ)家に移るにおよんで、卜部家の吉田氏は、天正十八年(一五九〇)八神殿(神産日神(かみむすびのかみ)、高御産日神、玉積産日神(たまつむむすびのかみ)、生産日神、足産日神(たるむすびのかみ)、大宮売神(おおみやのめのかみ)、御食津神(みけつのかみ)、事代主神)を神祗官から移して、京都東山の神楽岡に吉田神社を祀り、慶長十九年(一六一四)吉田神社を神祗官代とした。(明治五年(一八七二)八神殿を皇居内の神殿にうつすまでは、卜部家の邸内にあったわけである)そのために吉田氏は丁度寺院の本山のような地位を占め、献金による授位授勲が盛に行なわれた。これを「宗源宣旨」といった。
 宝暦の頃(一七五一~一七六四頃)の書と思われる下野神名帳によると正一位の神位をもった神社は那須郡だけでも七社を数えることができる。すなわち
 荒川村八ケ代  諏訪大明神
 荒川村森田   鹿島大明神
 向田村向田   熊田大権現
 向田村向田   諏訪大明神
 烏山町     牛頭天王
 川西町寒井   温泉大明神
 下江川村上川井 日光大権現
                               (以上旧町村名使用)
 神勲は「続日本紀」に、
 宝亀二年(七七一)越前国の剣神社に勲六等を授け封戸を与えた、とあるところからみると、この頃既に授勲の制があったものと思われる。これも初めは神祗官から授けられたものであるが、後には神位と同様吉田家がかわって授与していた。
 当市の神社は、大小あわせて百三十五社という、多くの社殿が造営され、領主はもとより庶民の崇敬をあつめた。百三十五社の内訳をみると、永い歴史をへて今日まで崇拝されてきた五十五社、時代の流れのなかで合祀された三十社、各寺院の境内社五十を数える。現存する五十五社のうち、四社は明治以降の造営に係るものである。これについては、明治以降現代までを解き明す後編において記述する。また、寺院における境内神社については、寺院編各説を参照されたい。
 これらの神社の総括として、別表一大田原市神社一覧表、別表二祭神一覧表、別表三社名一覧表、別表四寺院境内神社・宮一覧表、別表五合祀された神社一覧表等によってみるならば、その分布は大田原地区七社、金田地区三十二(十四)社、親園地区二十二(十一)社、佐久山地区十一(四)社、野崎地区九(一)社となる。こうしてみると案外少ないのが大田原地区であるが、寺院における境内神社三十三社という、多きを数えるためであろうかとも思われる。( ()内の数字は、合祀された神社数である。)
大田原市神社一覧表(別表一)
社名所在地造営中興旧格
大田原神社山の手大同二年(八〇七)郷社
経塚稲荷神社紫塚寛永一〇年(一六三三)
天満宮新富町享保一〇年(一七二五)
水元神社紫塚寛文三年(一六六三)
八幡宮浅野安政二年(一八五五)村社
愛宕神社中央文明三年(一四七一)
愛宕神社美原町不明不明
温泉神社市野沢慶長年間(一五九六~一六一五)郷社
愛宕神社練貫元禄七年(一六九四)
温泉神社鴻ノ巣元禄年間(一六八八~一七〇三)村社
熊野神社乙連沢不明不明村社
八幡宮乙連沢不明嘉永三年(一八五〇)村社
温泉神社富池不明不明村社
温泉神社倉骨文治三年(一一八七)村社
那須神社南金丸不明延暦年中(七八二~八〇六)郷社
温泉神社鹿畑不明不明
小滝神社小滝不明不明村社
八竜神社羽田不明寛延二年(一七四九)
温泉神社羽田不明延宝七年(一六七九)村社
温泉神社羽田不明天治二年(一八六五)
熊野神社赤瀬寛文六年(一六六六)村社
温泉神社北大和久延徳元年(一四八九)
稲荷神社奥沢寛永六年(一六二九)
稲荷神社中田原天喜五年(一〇五七)元禄六年(一六九三)
温泉神社奥沢・上奥沢宝永七年(一七一〇)村社
滝沢神社滝沢文禄元年(一五九二)村社
温泉神社花園不明不明
温泉神社花園永禄年間(一五五八~一五七〇)
温泉神社花園天正一八年(一五九〇)
諏訪神社荻ノ目不明不明村社
温泉神社実取不明天保年間(一八三〇~一八四三)村社
温泉神社滝岡不明正徳三年(一七一三)村社
加茂神社親園慶安四年(一六五一)
湯殿神社親園建久六年(一一九五)村社
日本武神社宇田川建久六年(一一九五)
温泉神社宇田川川下不明天保年間(一八三〇~一八四四)村社
稲荷神社佐久山永禄二年(一五五九)
温泉神社佐久山元暦元年(一一八四)村社
愛宕神社佐久山天延二年(九七四)元禄一四年(一七〇一)
大山祗神社松原正徳元年(一七一一)
諏訪神社佐久山文治三年(一一八七)
大神神社大神寛文七年(一六六七)村社
八幡宮福原天喜五年(一〇五七)郷社
温泉神社薄葉天暦元年(一一八四)永禄七年(一五六四)村社
八雲神社薄葉不明不明
温泉神社平沢不明村社
諏訪神社平沢不明不明
湯泉神社下石上不明不明村社
石上神社上石上不明不明
熊野神社上石上不明不明
温泉神社上石上元暦二年(一一八五)村社
 
大田原護国神社山の手明治一二年(一八七九)
大杉神社滝沢明治七年(一八七四)親園加茂神社合祀
稲積稲荷神社福原玄性寺境内
西郷神社美原町明治三五年(一九〇二)

祭神一覧表(別表二)
神名主祭神(数)配神(数)境内神(数)合計
誉田別命
火産霊神一二
稲倉魂神一三
健御名方命
大山祗命
大巳貴命二二二六
少彦名命一六二三
素盞鳴命
伊邪那岐乃命
伊邪那美乃命
大国主命
伊弉諾神
伊弉冊神
級長戸辺命
級長津彦命
応神天皇
武甕槌命
天照皇大神
菅原道真
奥津彦命
奥津姫命
比茂爐来命
神功皇宮
日本武尊命
別雷之命
水速女神
大日霊貴尊
木花之開耶姫神
瓊々杵神
岡象女命
須佐之男命
磐裂神
豊城入彦命
宇迦魂神
雷神
高靇神
保食神
住吉神
市杵島姫神
火別雷神
石凝姥命
猿田彦命
神狐之霊
加具津知命
宗像神
武内宿弥命
代々神職神霊
 
合計八八四七三〇一六五

社名一覧表(別表三)
社名本殿境内合計
大田原神社
経塚稲荷神社
稲荷神社
天満宮
水元神社
八幡宮
愛宕神社
温泉神社一九一九
熊野神社
那須神社
小滝神社
八竜神社
滝沢神社
諏訪神社
加茂神社
湯殿神社
日本武神社
大山祗神社
八雲神社
大神神社
湯泉神社
三峰神社
神明宮
古塚神社
厳島神社
足尾神社
淡島神社
八坂神社
雷電神社
高良神社
祖霊社
砲瘡神社
秋葉神社
石上神社
合計五一二九八〇

寺院境内・神社・宮一覧表(別表四)
神社名
稲荷神社
弁天宮
水神宮
熊神宮
天神宮
天王宮
蛭児宮
白山宮
地神宮
山王社
愛宕堂
近津大明神
高良神社
温泉大明神
温泉神社
諏訪神社
諏訪大明神
 
末社二〇
 
合計五〇

合祀された神社(別表五)
社名所在地造営年代中興年代旧格主祭神
天白峰神社富池不明不明大巳貴命、少彦名命
別雷神社北金丸不明不明別雷命
砲瘡神社北金丸不明不明
八雲神社北金丸不明不明
温泉神社北金丸不明不明
稲荷神社北金丸不明不明
八竜神社北金丸不明不明
稲荷神社北金丸不明不明
鹿島神社北金丸不明不明
愛宕神社北金丸不明不明
瀬尾神社中田原不明不明不明
温泉神社中田原不明不明不明
天神社中田原不明不明不明
厳島神社中田原不明不明不明
 
日枝神社滝沢不明不明村社
三霊神社滝沢不明不明
倭武神社滝沢不明不明
豊富神社親園不明不明不明
秋葉神社親園不明不明不明
温泉神社親園不明不明不明
富士神社親園不明不明不明
天満宮親園不明不明不明
稲荷神社親園不明不明不明
諏訪神社小種島不明不明不明
温泉神社小種島建久己戊九月不明不明
 
秋葉神社大神不明不明
鶏島神社大神不明不明
温泉神社福原不明不明村社大己貴命・少彦名命
諏訪神社福原不明不明健御名方命
 
八坂神社上石上不明不明

 これらの社殿の創建年代は、古代二社、中世十一社、近世十五社、不明五十三社となるが、当地方の傾向をみるには、あまりにも創建不明の神社が多いのは残念である。しかしこおした各時代に造営された神社を勧請創建した人々についてみれば、那須、福原、大田原などの領主に係るもの十二社、那須岳や八溝岳などで怪獣を退治した三浦介、上総介、源義家などの武将によるといわれるもの五社、農民の手に係るもの、他国から移住してきたものによるもの、各々三社、僧侶の造営によるもの二社、国造、地頭によるものそれぞれ一社、その他不明五十四社とある。その多くは、支配者によって鎮護国家の守護神として祠られたと思われる。特に、那須余一宗隆が屋島の戦において、扇の的を射ようと八幡、春日、諏訪の三神に祈願したというつたえや、または那須湯本温泉神社の祭神に、その功を祈念したというつたえから、温泉神社を分祀し、その氏神としたというのも土地柄をよく象徴している。
 社名で最も多いのは、温泉神社の二十四(五)社を筆頭に、稲荷神社十二(三)社、愛宕神社九(一)社、諏訪神社五(二)社、天満宮五(二)社、八幡宮三社などとなっており、その祭神は、大己貴命二十六神、少彦名命二十三神、稲倉魂神十三神、火産霊神十二神、素盞鳴命八神、菅原道真七神、大山祗命別雷之命それぞれ五神、その他の神々三十六神にものぼっている。(()内数字は、合祀された神社である。)
 これら社名と祭神の関係については、その多くは温泉神社で、その祭神は大己貴命(十七)、少彦名命(十二)を斎(まつ)っている。次いで、稲荷神社であるが、祭神は稲倉魂命で五穀豊熟を祈ったもので、農業をもって治国の基礎とした、当地方の往古がうかがえる。そして愛宕神社であるが、その祭神は火産霊命で火の神、鎮火の神として庶民の崇敬をあつめていた。愛宕神社の多いのは「雑録」火災の章でのべたように、特に大田原地区は、大田原宿をはじめ、その他の地域も大火の多いところであったことにもよるものと思われる。
 以上神社について総括的に述べてきたが、これを解明する文書はきわめて少なく、延喜式、続日本後紀、日本三代実録、栃木県神社誌、那須遠江守寺社御改、宿方明細書上帳などの文献を参考にしたにとどまる。
 またここに列記した神社以外にも社殿があったと思われるものもあり、創建年代などにはいくつかの疑問もあったが、栃木県神社誌などを参考にそのまま記載したものが多い。