大田原神社(山の手二)

1065 ~ 1066
        (上山大神宮)旧郷社
主祭神  大己貴神 少彦名命
配神   火産霊神 素盞鳴命 大日霊貴神 木花之開耶姫神 倉稲魂神
境内神社 稲荷神社(倉稲魂神)、三峰神社(日本武尊)、天満宮(菅原道真神霊)、神明宮(大日霊貴神)
祭礼   七月十五日(八雲祭)、九月十五日(例祭)
由緒沿革 社伝によると、昔前室村と称したころ、那須郷に上中下温泉の三社が鎮座し、本神社はその下宮で、大同二年(八〇七)の創建であるという。
 近衛天皇のとき、那須の野狐が里人に害を加えたので、人々は東西に遁走し、人跡まれな荒野となった。ここに久寿二年(一一五五)春、那須野ケ原で狩があり、三浦介義純、上総介弘経が勅命をうけて、この地にこられた。当所は那須野ケ原の入口であったため、まず本社に祈誓したところ、霊験があったので、神殿を造営したと伝えられる。
 その後、藩祖大俵康清の遠裔、大田原備前守資清が、天文年間(一五三二~一五五五)大田原城築営に際し、下宮を崇敬して鎮守となし、歴世相継いで崇敬したという。
 当社は初め、水口居館に造営され、次いで前室城三ノ丸山頂に遷宮、後青渕の里(城跡下蛇尾川河川敷)に、後中ノ宮(中田原富士電機)に、後中田原温泉坂に遷宮された。その後、庶民の参拝の便を図るため、現在の地に遷宮造営し、温泉神社を改めて大田原神社と称した。