主祭神 挙田別命
配神 素佐鳴男命 火産霊命 大己貴命 少彦名命
境内神社 高良神社(武内宿祢)
祭礼 十月十四日(例祭)、二月十七日(祈年祭)、十一月二十七日(献穀祭)、一月一日(元旦祭)
宝物 槍五本、掛軸一幅
神賑行事 例祭典執行後に神輿の渡御祭あり。
由緒沿革 天喜五年(一〇五七)九月の創立で、源頼義が奥羽鎮国として下向の途次、この地に滞陣し戦勝を祈るため一小祠を建て、山城国岩清水八幡宮を分祀、当地を八幡村と称したという。後、嘉承元年(一一〇六)秋須藤権守貞信(那須家の祖)が、八溝山中の凶賊岩岳丸退治のとき、当社に祈願したため功を奏したという。その後、八幡村に居城を構え須藤家の氏神とし社殿を造営したという。元暦二年(一一八五)、那須余一宗隆が屋島にて扇の的を射るとき、八幡、温泉両神社を心中祈願して、その功を奏したため、那須家守護神とし社殿を再建、毎年籾五十俵を寄進した。その後、元禄十五年(一七〇二)二月那須資明は家老高瀬治右衛門、総奉行北尾吉左衛門、池沢松伯に命じて現神殿を再建させ、寛政三年(一七九一)三月、遷宮の式を行なったという。また那須神社の分祀とも云われ、金剛寿院が管理していたこともあったともいわれている。