第四章 寺院総説

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 大田原市現在の寺院は二十九箇寺で、その宗派別をみると、真言宗十三(明治以降一)、曹洞宗六、真宗三、浄土宗三、日蓮宗三(明治以降二)、時宗一となる。諸堂宇は十六堂宇を数え、その宗派別は真言宗四、天台宗一不明十一となる。しかし、本編において当市の寺院を解説するには、明治五年(一八七二)太政官布告の廃寺命令を受けて、廃寺となった多くの寺院を加えて、考えなければならない。別表一・二をみると真言宗三十八箇寺、曹洞宗六箇寺、天台宗五箇寺、日蓮宗四箇寺、真宗三箇寺、浄土宗三箇寺、修験・普化・時宗各一箇寺、不明十五箇寺を数え、圧倒的に真言宗が多くこれに次いで曹洞宗・天台宗と続き、僅かに修験、普化、時宗をみることができる。
 創建を文書・文献によって知る範囲内で時代的にみると、江戸時代八箇寺、鎌倉・室町・織豊時代それぞれ六箇寺、南北朝時代四箇寺、平安時代一箇寺となり、古代一箇寺、中世十四箇寺、近世十四箇寺であるが、大半を占める創建不明の寺院五十一箇寺のため、詳説することは困難である。例えば竜泉寺の場合、明応三年(一四九四)祐辨法印の中興開山と伝えられるが、創建第二十八世と寺伝にいう。
 また、元末寺富池成就院の創建は、寛喜二年(一二三〇)と伝えているので、これより以前に小林村に創建されたと思われるように、中世における文献がさだかでないのは、全く遺憾である。
 また、開基として伝えられるものは、各地区の領主やその夫人、豪族などが大半で、那須氏、福原氏、大田原氏、木須氏などがそれである。中には、大江常正(妙徳寺)や嶋田越後守藤原忠経(長泉寺)など、京都の落人にまつわるものや、百姓孫八など特筆するものがある。
 明治五年(一八七二)十一月、太政官布達をもって無檀無住寺院や堂宇は、廃寺もしくは既設寺院に帰属しなければならなかった。このため、天台宗吉祥院(元下町薬師堂)、刈切地蔵堂が不退寺(時宗)の支配下になるなど、また、末寺十八箇寺をもっていた竜泉寺が、十四箇寺を廃寺処分し、その檀越を本寺檀徒とするなどの例もある。廃寺となった寺院(別表二)は、文書や城景図・町並図によって、その名称を知るもので、創建の年代、開山、開基はもちろんのこと、縁起・廃寺年代など、現在これを明らかにすることは不可能である。また別表二に列記した寺院や堂宇の他にも、廃寺、廃堂となったものがあると推察される。
 当市の宗派の大半を占める真言宗については、その創建の意図がなんであったか、今明らかにするすべもないが、現在、真言宗智山派に属している各寺院も、もとは修験仏教の法流をくむ醍醐系であったが、明治十年(一八七七)代に転派(金剛寿院・竜泉寺・妙徳寺)したものである。修験道仏教(東密系=真言山伏、台密系=天台山伏)は、その本流をたずねれば日本固有の信仰に発するもので、古代人が農耕作業を営む上に、風雨順次、五穀豊饒など山伏の咒力、咒術によって、山の神に畏信する信仰がそれである。この咒術も、平安時代に入って密教の加持祈祷の修法と結合し、独特の修法となった。その一例は、廃寺となった聖護院本山修験直末の地蔵院(山の手)が、後代竜泉寺末となったのもうなずける。
 この寺も廃寺となったが、普化宗虚無僧寺(城山)は、元文元年(一七三六)二月十七日夜、中町庄左衛門宅失火によって、新富町(新屋敷)代替寺域を得て移った満願寺といわれるが、徳川幕府下における虚無僧は、一説に公儀隠密といい、真言宗への結びつきも考えられる。また、法相宗から天台宗へ転派した吉祥院(元下町薬師)、天台宗から曹洞へ転派した永興寺(福原)や、臨済宗から曹洞宗へと移った玄性寺(福原)など、特例もある。
 文政元寅年(一八一八)三月、「滝沢村宗門御改帳」の一部を記して参考とする。
  家主富右衛門印    三拾七歳
    母        五拾八歳
    女房       二拾五歳
  孫 男子 初太郎   拾壱歳
  〆四人 内 男弐人 女弐人
右帳面之者代々真言宗ニ而当寺檀那ニ紛レ無御座候若シ脇より御法度之宗門ト申者御座候ハヽ拙僧何方迄茂罷出急度申被可仕候為後日依而如件
   下野国那須郡沢村観音寺末 同国同郡薄葉村  自性院
 文政元年寅三月
   阿久津幾吉殿
 幕府の政策を護るため、キリスト教弾庄を行なう手段として、名主を始め村中の役ならびに顔役が、その責務を負い、その上寺院保証という「宗門改メ」が、厳重に行なわれた。
 以下別表一・二によって、各寺院の概要を記す。
大田原市現在寺院一覧表(表一)
寺名所在地宗派創建開山開基本寺
竜泉寺山の手真言宗不詳仝上仝上宇都宮 能延寺
不退寺新富町時宗建長二年(一二五〇)奥野又三郎近重何阿真教上人藤沢 清浄光寺
光真寺山の手曹洞宗天文一四年(一五四二)備前守資清麟道上人川崎 長興寺
正法寺中央日蓮宗慶長九年(一六〇四)菊帝大納言公実の姉正行院日春上人身延 久遠寺
洞泉院山の手曹洞宗応永年間(一三九四~一四二七)日山良旭禅師大田原 光真寺
忍精寺新富町真宗文政一一年(一八二八)飛弾守愛清道林和尚大谷派 本願寺
妙徳寺小滝真言宗延暦二一年(八〇二)大江常正仝上宇都宮 能廷寺
成就院松原真言宗寛喜二年(一二三〇)不詳仝上大田原 竜泉寺
不退寺奥沢浄土宗正保二年(一六四五)学雲和尚川西 常念寺
実相院北金九真言宗不詳仝上仝上川西 明王寺
泉寿院鹿畑真言宗不詳仝上仝上片府田 宝寿院
薬王寺親園真言宗享保四年(一七一九)宥長上人沢 観音寺
長泉院花園真言宗建武年代(一三三四~一三三六)大島民部沢 観音寺
養福院親園真言宗慶長年間(一五九六~一六一五)宥弘上人沢 観音寺
成就院宇田川真言宗安永年間(一七七二~一七八〇)宥玄僧都片府田 宝寿院
実相院佐久山曹洞宗永禄六年(一五六三)月江宗船尼中叟守的和尚白河 松林寺
玄性寺福原曹洞宗那須次郎資房葛飾 総寧寺
永興寺福原曹洞宗建久元年(一一九〇)福原四郎久隆天台僧鳥蔵大田原 光真寺
常敬寺福原真宗永仁六年(一二九八)唯善上人大谷派 東本願寺
正浄寺佐久山真宗孫八僧源慶   本願寺
長宗寺佐久山真言宗永享元年(一四二九)仙慶法師
金剛寿院福原真言宗永正年中(一五〇五~一五二一)甚祐山城 光台院
高性寺薄葉浄土宗弘安四年(一二八一)長蓮社高誉上人芝 増上寺
全超寺上石上曹洞宗寛文二年(一六六二)電良和尚大田原 光真寺
円満寺下石上真言宗慶長五年(一六〇〇)良円和尚大田原 竜泉寺
法善寺上石上浄土宗正中二年(一三二五)良意上人岩空仝上
遍照院本町真言宗明治一七年(一八八四)及川照竜師成田 新勝寺
護法寺荻ノ目日蓮宗昭和二一年(一九四六)大田原 正法寺
本光寺佐久山日蓮宗昭和一〇年(一九三五)慈朝院日光上人大田原 正法寺
薬師堂中央天台宗正平二四年(一三六九)舟田長門守貞正不詳東叡山 泉竜院
刈切地蔵堂若草不詳仝上仝上仝上大田原 不退寺
刈切薬師尚若草不詳仝上仝上仝上大田原 竜泉寺
素菊庵元町真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
沼袋観音堂住吉町不詳仝上仝上仝上仝上
馬頭観音堂鴻巣真言宗不詳仝上仝上小滝 妙徳寺
泣地蔵堂田中不詳寛文二年(一六六二)一学増俊不詳不詳
観音堂羽田不詳元和七年(一六二一)木須越前資業不詳不詳
薬師堂市野沢不詳仝上仝上仝上仝上
薬師堂町島真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
不動堂真言宗不詳仝上仝上富池 成就院
観音堂親園不詳仝上仝上仝上仝上
阿弥陀堂宇田川不詳弘治三年(一五五七)不詳仝上仝上
滝沢不動堂滝沢不詳仝上仝上仝上   滝沢神社
観音堂福原下町不詳正保年中(一六四四~一六四八)那須資弥不詳仝上
大日堂佐久山真言宗不詳仝上仝上仝上
薬師堂薄葉不詳仝上仝上仝上仝上

大田原市廃寺一覧表(表二)
寺名所在地宗派創建開山開基本寺
地蔵院山の手修験天正一六年(一五八八)大田原政清聖護院道尊親王   聖護院
慈眼院山の手真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
上性院山の手真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
明照寺山の手真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
普門院新富町真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
照明院山の手真言宗不詳仝上仝上水戸 慈雲寺
千寿院美原町真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
宝光院不明真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
満願寺新富町真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
虚無僧寺城山普化宗不詳仝上仝上仝上
大行院不明不詳仝上仝上仝上仝上
蓮乗院小滝真言宗不詳仝上仝上小滝 妙徳寺
宝積院市野沢真言宗不詳仝上仝上小滝 妙徳寺
福生院練貫真言宗不詳仝上仝上小滝 妙徳寺
大性院中田原天台宗不詳仝上仝上   吉祥院
文殊院中田原真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
大泉院中田原真言宗不詳仝上仝上大田原 竜泉寺
常楽寺三斗内天台宗不詳仝上仝上   正徳院
等覚院親園日蓮宗文久三年(一八六三)不詳不詳仝上
円通寺大沢文禄三年(一五九四)良信住円上人
千手院大沢天台宗天正九年(一五八一)佐良土 法輪寺
宝光院大神真言宗弘治二年(一五五六)片府田 宝寿院
自在院福原真言宗不詳仝上仝上
文殊院福原真言宗福原 金剛寿院
竜蔵院福原真言宗明応九年(一五〇〇)沢 観音寺
薬王院大沢真言宗不詳仝上仝上仝上
純泉院大沢真言宗天正九年(一五八一)祐尊上人酒主 一乗院
竜光院佐久山不詳仝上仝上仝上
安楽寺佐久山真言宗不詳仝上仝上仝上
自性院薄葉真言宗不詳仝上仝上沢 観音寺
浄覚院薄葉天台宗不詳仝上仝上三斗内 常楽寺
威徳院不詳仝上仝上仝上
 
善性庵山の手不詳仝上仝上仝上仝上
朝日観音堂中田原不詳仝上仝上仝上仝上