竜泉寺(山の手二)

1107 ~ 1108
竜頭山不動院竜泉寺と称し、下野国宇都宮能延寺の筆頭末寺で、真言宗の小本寺格である。
 当寺は、もと小林村(中田原天神森附近)に創建されたと伝えられるが、創建、開基などに関する文書も伝わっていない。
 明応三年(一四九四)、大俵康清が水口(町島)に館を構えるにおよんで、当寺を移転し大俵家の菩提寺兼祈願寺となったという。その後、第六代城主資清は、天文十四年(一五四五)前室(大田原)に城郭を移すにおよんで、現在の三ノ丸下に境内を与えられ、移転再建するとともに、大田原家累世の祈願寺兼城中仏事諸関係指図寺として、寺領百石を賜わる。この時の僧祐辨は、当寺第二十八世と伝えられるので、祐辨をもって中興開山第一世としている。
 寺記によれば当寺の末寺として、次の十八カ寺を挙げている。
北町明照院 南町慈眼院 南町満願寺 袋町普門院 大田原宝光院 北町上性院 大久保地蔵院 原町千寿院 不宿村成就院 上ノ坊大泉院 明宿村文殊院 石上村西光院 鹿野村密乗院 中野村観明院 高林村光明院 石林村大乗院 挾原村明星院 井口村慶乗院(根生院文書より)

 以上の寺院は、当寺晋住の僧をもって開山としているが、明治維新により統廃寺が行なわれ、不宿村成就院、石上村西光院 鹿野村密乗院 井口村慶乗院を残すのみである。
 古文書によると、
享保十二年(一七二七)正月十六日中興第二十四世宥敝 享保十二年三月二十五日寂 より飛弾守扶清公に老悴を理由に隠退を申し出後任に宥精を推挙し同月二十日これを允許す

と、祈願寺への晋住に伴なう藩主允許の一瑞をうかがえ知ることができる。