那須郡大田原宿にあり、本尊薬師如来立像にて、長五寸許、恵心僧都の作と云、十二神将各五寸許、是は徳一僧都の作と云、別当雨楽山吉祥院と号す、天台宗にて東叡山泉竜院の持なり、但し往古は法相宗なりしと云、一に瑠璃殿と称す。 とある。
正平二十四年(北朝応安二年)(一三六九)新田義興の臣、舟田長門守貞正が陸羽出陣の折り、護持してきた薬師如来を、この地に安置したものと伝えられる。
宝暦七年(一七五七)九月、火災にあって焼失したが、寛政五年(一七九三)に再建したものが現堂宇である。津久家文書「宿方明細書上帳」には、
領主より除地一、高五石 畑方ニ而当宿之内 江戸ノ方ヨリ左 但境内 東北江七拾五間三尺 東西江三拾六間 除地 一、薬師堂宇壱宇 五間 四面 一、稲荷宮小社 一、辨天宮 同 一、水神宮 同 一、銅仏地蔵壱躰 高サ五尺 一、宝篋印塔 壱 一、石之塔弐ツ 但シ高サ壱丈七尺 三尺四方
一、庫裡 六間 三間半 一、仁王門 三間半ニ 弐間 とある。
一、庫裡 六間 三間半 一、仁王門 三間半ニ 弐間 とある。