光真寺(山の手二)

1109 ~ 1110
大田山光真寺と号す。
下野田誌に、
那須郡大田原駅にあり、大田山と号す、大田原家代々の菩提所にて、寺領五百石を寄付す、曹洞宗にて、塩谷郡川崎長興寺末なり。   とある。

 天文十四年(一五四五)大田原備前守資清が創建し、塩谷郡館野川長興寺第三世麟道を屈請して、開山第一世とした。
 寺号は、麟道和尚(資清の実兄)の父君の法号「明庵道光」の光の字と、母君の法号「真芳妙観」の真とをとって命名したという。
 寛永十六年(一六三九)に領主政清から寺領三百石を、宝永六年(一七〇九)に、友情から二百石を寄せられた。
津久井家文書「宿方明細書上帳」には、
領主より寺領一、高五百石但 畑三百石当宿高之内 田二百石下石上高之内 江戸ノ方左 境内 南北江八拾六間 東西江六拾九間 内田畑少々有 一、大門 四間ニ 弐間 一、執寮 五間ニ 九間
一、座禅堂 五間ニ 四間 一、本堂 拾四間 二拾間 内九尺四方廻廊有 一、廻廊 弐拾七間 折廻シ 一、鐘楼 弐間 四方 一、台所 五間ニ 拾間 一、茶之間 四間 四方
一、庫裡 九間ニ 五間 一、書院 七間ニ 三間 一、庫裡より本堂江廊下 拾三間ニ 弐間半 一、寮 壱 一、白山宮 壱 一、地神宮 壱
一、能野宮 壱 一、板蔵 壱 一、車屋 壱ケ所 一、裏門 壱ケ所 一、溜井 壱ツ   とある。