応永(一三九四~一四二八)の終り頃、曹洞宗総持寺第十八世日山良旭禅師の開山と伝えられ、元・大田原原町に洞泉庵と称して創建された。
元和八年(一六二二)三月、光真寺第六代北堂素南禅師が、元・原町洞泉庵安置の阿弥陀如来像を、元・荒町裏に移し洞泉院とした(大俵年表=人見氏蔵)。現宇は、弘化三年(一八四六)三月、第十七代太梅和尚の再建になり、二重屋根大仏殿風の建築である。
津久井家文書「宿方明細書上帳」には、
一、高弐拾三石 但シ 内拾石田方ニ而中田原村高之内 内拾三石畑方ニ而当宿之内 江戸ノ方より左 境内 東より北江五十八間 西より南江四十弐間 除地 一、白山宮 一、庫裡 五間ニ 拾壱間 但シ本堂四ケ年己前焼失
一、門前 三軒 一、大門 とある。
一、門前 三軒 一、大門 とある。