小滝山妙徳寺と称し、下野国宇都宮能延寺の末で、真言宗智山派に属する。寺記によれば、延暦二十一年(八〇二)大江常正の開基と伝えられている(寺院名簿)。なお、当寺には、開基の位牌と称するものがある。表面に、
延暦二十一年
妙徳院前伝燈智定観導大居士
三月二十一日
裏面に
小滝山開基大江常正法名
と記されている。しかし、大江常正という人物については文献もなく、また再三の火災に位牌のみ焼失をまぬがれたとも思えない。なお、境内に、開基の墓と称する五輪塔があるが(那須郡誌)、さだかではない。
延享二年(一七四五)根生院提出の「門末改帳」によれば、能延寺末次筆寺領拾石とあり、その末寺には、高久高福寺 大輪玄寿院 小滝蓮乗院 市野沢宝積院 練貫福性院の五カ寺の名がみえる。
応安三年(一三七〇)、那須資藤の五男資信が、小滝に分地されて小滝氏を称してからその菩提寺(資信、応永二十二年(一四一五)十月二十日寂、当寺に葬る(小滝系図)。とある。)であった。増信の代に至って福原永興寺に葬り、次代信定を福原玄性寺に葬るなど、小滝城廃墟となるにおよんで、寺運もまた衰微した。