瑠璃光山密蔵院長泉寺と称し、沢観音寺の末寺で、真言宗智山派に属する。
建武年代(一三三四~一三三六)、京都の落人嶋田越後守藤原忠経というもの、同所滝岡に土着し、土地の豪族乙女佐司馬の家名を相続し、当地屈指の権勢を誇ったという。その子孫に大嶋民部という人、忠経の菩提を弔うため、明応四年(一四九五)一寺を建立し忠経の念持仏を本尊とした。といい伝えられている。本尊は、背に鏡をせおっているところから、「背鏡阿弥陀」ともいわれている。
当寺は、もと沼と滝岡の中間にあったところから、沼滝山密蔵院頂泉寺と称したと伝えられるが、何時のころからか、現在の山号寺号を用いるようになった。
境内には薬師堂があり、旧暦正月十六日に大祭が行なわれる。また、享保九年(一七二四)に、僧宥澄の描いた釈迦涅槃像図がある。特に「天祭」(市無形文化財)が行なわれる。