宝永二年(一七〇五)六月、天王社を元・中町に遷座し、町内疫病除として奉祀す。社は、もと前室の鎮守にして前室庵において管理していた。その後、大行院(城山二)の支配となり、天文中(一五三二~一五五五)明照寺に移管されたもの。と、古文書に記されている(古来号上之坊という)。
津久井家文書「宿方明細書上帳」には、
一、領主より寺領高 弐拾五石 但シ 畑方ニ而弐拾三石中田原村高之内 田方ニ而弐石同村高之内 境内 東より西江五拾 八間 北より南江四十間 除地 一、山王社 弐間ニ 弐間半 一、天神宮 小社 一、大般若経蔵 壱 一、本堂庫裡共ニ 七間半ニ 四間 一、宝篋印塔 壱 一、大門 とある。