第二節 大般若会と竜泉寺

1134 ~ 1136
 小滝城主丹後守五郎増信、那須家の羽翼となり、五月女坂および奥州小田倉の戦に、或いは那須佐竹との戦、薄葉ケ原の戦いに戦功を樹て、丹後守に任ぜられた。このために領地を加賜されるなど、勢威日を追って盛大となった。これをみて大田原左衛門尉晴清、疑惧するところとなり、慶長五年(一六〇〇)正月、増信賀正のため大田原に登城の時、晴清強いて酒を勤めて酩酊せしめ、その退城するにおよんで、藩主菖蒲沢に斉藤某、阿久津某を襲わしめ暗殺したといわれている。後年、晴清は五郎の追福のため、毎年竜泉寺において大般若を転読することを恒例とした(五郎忌)。(那須郷土誌・竜泉寺縁起)。
 権田蔵「御定法帳写」によれば、
 月二十日、大般若会執行早朝より吟味役、御目付、月番掛役など麻上下着用出仕、大広間南廊下に於て、竜泉寺僧六人登城。茶烟草盆を差出し、掛役出でて粥一汁、香物付、胡麻塩にて朝飯を喫す。吟味役等料理人まで頂戴す。大般若経転読供物次の通り、
  備 大小 二重
  小備   十六重
  散米   壱升入壱重
  燭台   弐本
中休に煮メ胡麻塩香ノ物付赤飯を差し出す。読経すめば、勝手の間にて御吟味役より御初穂、竜泉寺住職に五百疋、供僧へ弐百疋づつ相渡す。竜泉寺は、
  木札 弐枚
  紙札 八枚
  御備 一重
  小札 弐百五十枚
又、大般若祈祷札を左の通り配布す。
  三十枚   御玄関
  百枚    会所
  十五枚   町奉行
  十五枚   御次向
  三十枚   江戸表
又、家老両家御用人吟味役寺社奉行郡奉行、御目付、代官役へは、竜泉寺より大札小供餅壱つ宛配る。
 ついて二十日待の儀式が行なわれ、予定の僧侶のみ居残る。二十一日朝
 一、御供餅  壱重
 一、御洗米
 二十日夜は、小豆粥を差し出す。二十一日朝は汁粉餅を饗をうけ、御札供物を御勝手間にて掛役に差し出して退出す。かくて掛役は大般若転読、二十日待滞りなく終了のことを御用番に届けるなり。