大田原権左衛門、大谷源左衛門、大田原半六、阿久津正右衛門、大田原段右衛門、阿久津長左衛門、豊田市之進、伊藤兵左衛門、阿久津惣兵衛、木佐美忠四郎、阿久津岡右衛門、大田原権之丞、阿美三保次郎、滝田次郎左衛門、高瀬太郎右衛門、鈴木弥次右衛門、阿久津杢左衛門、磯雲碩、遅沢数右衛門、松本惣右衛門、印南由右衛門、八木沢宇右衛門、斎藤喜右衛門、三本木助右衛門、佐藤治郎右衛門、
町年寄 文四郎、小雑用 瀬兵衛、山守 儀右衛門、升取 源内、御挾箱持 八内、御中門 浅平、御下男 藤吉、
町年寄 文四郎、小雑用 瀬兵衛、山守 儀右衛門、升取 源内、御挾箱持 八内、御中門 浅平、御下男 藤吉、
この日、大広間床間正面に、永存の真影を奉安し、御飯、昆布、勝栗、納豆を高盛三宝四基を供え、家老並に前記諸士拝礼終わって町年寄文四郎、小雑用瀬兵衛拝礼仰つけられ諸士は書院に於て、御用人及び当番の倹約奉行、御目付と、何れも麻上下着用、御料理を頂戴した。藩主扶清出御、懇ろなる御言葉を賜う。接伴は、小姓頭、納戸役である。町年寄等は、納戸役の接伴にて中ノ口脇に於て、お料理を頂戴した。なお、法会の日は特赦令を発し、寺社、町村方より願い出により罪科によって詮議のうえ、赦免せられた。
安永五年(一七七六)十一月、永存三百回忌は、明六年正月十七日相当の処、この月十五日より十七日迄、三日二晩光真寺に修行せられた。これより先、町奉行の通達によって町年寄岡本文四郎、これより町方に触れ出した。
来る十五日より十七日迄、重き御法事有之ニ付、右御修行中諸事相慎可申候。
右之趣町方江不洩様、可被相触候。以上。
午十一月十二日 町年寄
岡本文四郎
藩は、追善厳修中特に火元に注意させ、火番役掛横山極人、小川源左衛門、隔日に昼夜二回城下を巡視し、鉄棒曵は町中を廻り、町役人二人触口を伴い、並に各町火消世話人は昼夜とも巡廻して警戒した。
十六日四ツ時(午前十時)、家老以下諸士ならびに隠居の面々、麻上下着用し光真寺に到る。午刻回香厳修を行なう。一同順次焼香の後、諸士は登城御蒸物を頂戴した。十七日は諸士妻子の焼香を許し、夜は町在方男女など法話を聴聞した。翌十八日、三席各二人宛登城し、法要無事終了のお歓びを言上した。先例の如く、寺社、村役人等より願い出によって、特赦を行なった。