第四節 宿方明細書上帳による大田原宿の寺院

1138 ~ 1152
 文化元年から文政四年頃まで(一八〇四~一八二一)のものと思われる奥州道中大田原宿明細書上帳に、当時の大田原宿のもようを道中奉行に報告した写しがある。すなわち、
         大田原山城守領分(光清)
 下野国那須 広郷県 相方兼候  大田原宿
 江戸江道法   三十七里
 先之鍋掛宿江  三里一丁五拾七間
 跡之佐久山宿江 壱里弐拾五丁四拾壱間
 日光之方沢村江 弐里八丁
 右三宿之儀は御定之継場
 外ニ横道継場として、佐良土、黒羽、波立、その他が記されており、
 大田原飛弾守扶清、享保十八癸丑検地(一七三三)
 一、宿高合弐千百拾壱石四斗八升八合
     但不残畑方とある。
 そして、地下免許の坪数三万六千三百三十三坪の説明、宿内惣家数弐百六十九軒と問屋場について、旅篭、宿内人別の男女別数、高札場、大田原宿からの道路と道のり、その他大田原宿内のいろいろな事項が詳細に記載され、中程に寺院関係(往還に面しているところ)の記事があるので、参考までに左に記す。
 
 江戸の方より
一、愛宕堂 壱宇 但 横三尺三寸 立四尺 除地
  右往還より弐拾弐間引込候 本山修験 別当 地蔵院
 領主より除地
一、高五石          吉祥院
   畑方ニ而当宿之内
 江戸の方より左
 但 境内 南北江七拾五間三尺 東西江三拾六間
 一、薬師堂 壱宇  五間四面
 一、稲荷宮 小社
 一、弁天宮 同
 一、水神宮 同
 一、銅仏地蔵壱躰 高サ五尺
 一、宝篋印塔 壱
 一、石之塔  弐ツ 但シ 高サ壱丈七尺 三尺四方
 一、庫裏   六間 三間半
 一、仁王門  三間半ニ弐間
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
右往還より仁王門迄六門引込候。御大名様之御休泊御宿仕候義無御座候 尤小寺ニ而此末御宿相勤兼候
 
         相州鎌倉郡藤沢宿
          清浄光寺末
 一、高五石     時宗 不退寺
    畑方ニ而当宿内
  江戸ノ方より右
   境内 南北五十五間 東西弐十間  除地
 一、本堂    七間ニ六間
 一、庫裏    拾壱間ニ五間半
 一、地蔵堂   三間 四間
 一、熊野宮   小社
 一、天神宮   同
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 一、大門  但 門前ニ石地蔵有外ニ溜中ニ弁天之小社有
右往還より六拾間隔組之内四拾四間行大門有尤御大名様御休泊之御宿仕候義無御座候此末宿方差支之節ハ仮成ニも御宿相勤可申候
 
一、天王宮 字仲町用水堀之上ニ有後ニ〓有
   但 巾五尺 横三尺五寸 別当 真言宗 明照寺
 一、蛭児宮 字仲町 別当蛭児社人
    但 巾三尺 横三尺五寸 雨覆 八尺四方
右社地間口弐間裏行三十壱間 往還より六間引込右宮地御年貢地
 
 江戸之方左  甲州身延山久遠寺末
 一、無除地    法花宗 正法寺
    境内 南北弐拾九間 東西十九間
 一、七面堂 四間ニ弐間半
 一、天神宮 小社
 一、稲荷宮 同
 一、庫裏  三間ニ六間
    但シ客殿之儀ハ焼失後未出来不申候
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 一、大門
 右往還より大門迄四拾八間引込候 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候
 
 一、庵地 長サ弐拾七間下野国芳賀郡大沢村
      横弐拾三間円通寺末字荒町
 
           善性庵
 一、天神宮  小社
 一、庵   六間ニ七間半  御許附
       九尺ニ三間
 右は往還より引込得共通りより見江候場所御座候
 
           当所光真寺末
 一、高弐拾三石    禅宗 洞泉院
    但 内拾石田方ニ而中田原村高之内
      内十三石畑方ニ而当宿高之内
  江戸之方より左
    境内 東より北江五十八間 西より南江四十二間 除地
    内
 一、白山宮
 一、庫裏   五間ニ拾壱間
    但 本堂四ケ年己(ママ)前焼失
 一、門前   三軒
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 一、大門
 右往還より弐十四間引込本堂有其より三拾三間引込大門 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候
 
       同国塩谷郡川崎村長光寺末
  領主より受領
 一、高五百石   禅宗 光真寺
  但 畑三百石 田弐百石 当宿高之内 下石上高之内
  江戸之方左
    境内 南北江八十六間 東西江六十九間 内田畑少々有
 一、大門    四間ニ弐間
 一、山門    四間ニ弐間
 一、廻廊   弐拾七間折返し
 一、十王堂  弐間ニ四間
 一、執寮   五間ニ九間
 一、座禅堂  五間ニ四間
 一、本堂   拾四間ニ拾間
    内九尺四方鞁(ママ)樓有
 一、廻廊   弐拾七間折返し
 一、鐘棲   弐間四方
 一、台所   五間ニ拾間
 一、庫裏   五間ニ九間
 一、書院   七間ニ三間
 一、庫裏より本堂江廊下拾三間ニ弐間半
 一、寮    壱軒
 一、白山宮  壱社
 一、地神宮  壱社
 一、熊野宮  壱社
 一、板倉   壱ケ所
 一、車屋   壱ケ所
 一、裏門   壱ツ
 一、溜井   立五十間 横二十間
 一、門前   拾三軒
 一、後通境内山林有
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
右ハ往還より裏町ニ而大門迄百弐拾九間引込尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候 尤手広ニ御座候
 
  領より寺領  当所龍泉寺末
 一、高五石    真言宗 慈眼院
   但 田方ニ而四石中田原村高之内 畑方ニ而壱石同村高之内
   境内 東西江拾八間 南北江六十六間 除地
 一、本堂   五間ニ七間
 一、庫裏   四間ニ四間半
 一、観音堂  弐間 四面
 一、稲荷宮  小社
 一、土蔵   三ツ
     此処貸地
 一、大門
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 右大門往還地先橋有 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候
 
 一、高五石       上性院
    但 田方ニ而四石中田村高之内 畑方壱石当宿高之内 除地
 一、本堂   四間ニ六間
 一、庫裏   二間半ニ三間
 一、虚空蔵堂 弐間ニ四間
 一、稲荷宮  小仕
 一、天神宮  同
 一、宝篋院塔 壱
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 一、水車 但貸地壱ツ
 一、大門
 右大門往還地先橋有 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候 尤手狭ニ御座候
  領主より寺領   当所竜泉寺末
 一、高弐拾五石   真言宗 明照寺
    但 畑方ニ而弐拾参石中田原村高之内 田方ニ而弐石同村高之内
   境内 東より西江五十八間 北より南江四十間 除地
 一、山王社  弐間ニ弐間半
 一、天神宮  小社
 一、大般若経蔵 壱
 一、本堂庫裏共ニ 七間半ニ四間
 一、宝篋印塔 壱
 一、大門
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 右大門往還地先神六間其より弐拾五間引込有之候 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候 尤手狭ニ御座候
 
            聖護院末
 一、無除地     本山修験 地蔵院
   境内 間口九間五尺 裏行拾四間 除地
 一、不動堂  弐間四面
 一、石鳥居  高サ壱丈
 一、院宅   九間ニ六間
    玄関付
 町家並
 一、門前   壱軒
  境内山之内
 一、愛宕堂  弐間四面
    但 御許附
 一、末社  小宮拾弐社
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 右は往還地先ニ木戸有其より引込石地蔵有 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候 宿方差支ノ節は仮成ニも御宿可相成候
 
           水戸黒沢村慈雲寺末
 一、高弐拾石   真言宗  照明院
    但  田方ニ而拾弐石中田原村高之内 畑方ニ而八石同村高之内
   境内 三拾参間四方 除地
 一、門前無御座候
 一、往還役無御座候
 一、名木名水無御座候
 右往還より弐間引込木戸有其より折返し境内ニ御座候 尤御座候 尤御大名様御休泊御宿仕候儀無御座候
 
 などとありその後は道路筋の橋や蛇尾川のもよう、木戸番所、山岳、助郷 など詳細をきわめ、最後に、
 右は日光道中、奥州道中、水戸佐倉道筋御分見其外御絵図為御用御尋之趣書上候通相違無御座候以上
      奥州道中 大田原宿
           名主      利兵衛
           同       文助
           同       治助
           年寄見習    瀬左衛門
           年寄      助左衛門
           同       五郎三郎
           同       角左衛門
 御分間御絵図
  御用
  御役人中様
         大田原宿
          年寄 津久井新助
と記載してある。