佐久山福原氏白河民政取締所支配

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白河領は、慶応三年(一八六七)に藩主阿部美作守正静の棚倉国替え以後は幕府領となり、小名浜代官支配となったので、慶応四年四月より新政府直轄統治下にあった。
 新政府は九月より佐久山福原氏に白河取締の支配を命じたのである。
 
                                    福原内匠
  其方儀当分之処白河城附六万石租税取締可致旨御沙汰候事
    九月     大総督府参謀
(福原日出乃文書)

 取締官として、福原氏より高橋宇兵衛が赴任したのである。この時に印南丈作も任地に同行したと伝えられている。庁舎は玄仙小路の常盤彦市の宅をあてた(「白河市史」)。この取締所の支配地は、白河の城下新町・天神町・中町・本町・横町・田町・桜町・大・愛宕町・年貢町・夏梨・十文字の各村と西白河郡内の各村である。
 白河民政取締所は明治二年二月十五日より佐久山福原氏から守山藩へ移管され、同月二十三日には白河民政局が設けられるに至り、その任務を終わるのである。
 なお、黒羽藩は塙に、塙民政取締所を設けた。