版籍奉還

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明治二年(一八六九)一月二十日、鹿児島・萩・高知・佐賀(薩長土肥)の四藩主は連書して版(版図すなわち領地)籍(戸籍すなわち人民)を奉還上奏した。全国の諸侯も相ついで上奏文を提出したが、大田原勝清も添書をつけて四月十日に願い出ている。その添書に、
今般 王政御一新万機 御親裁被為在 皇国復古之 御偉業ト奉感戴候於各藩土地人民奉還之建白伝承仕実ニ至当之儀ト奉存候殊ニ幼稚之微臣封土ヲ私有可仕ニ非ス依之版籍返上仕度何卒 御採用被成下候様謹而奉待 天裁候此段御執奏奉願候以上

    四月                             大田原飛弾守
      弁事
        御中
(「栃木県史料八一」 国立公文書館所蔵)

 政府は明治二年六月十七日、諸藩の版籍奉還を許可し、同二十五日までに二七四人を藩知事に任命した。大田原勝清は、二十三日に大田原藩知事に任命されたのである。
 なお、行政官により次の達しが下付されているので記すと、
                                   大田原飛弾守
今度土地人民版籍奉還可致之旨及建言候条全ク忠誠之志深 叡感被 思食(おぼしめし)候尚東京 御再幸之上会議ヲ経公論ヲ被為竭何分之 御沙汰可被為在候得共版籍之儀ハ一応取調可差出之旨被 仰出候事

    四月     行政官
 
                                   大田原飛弾守
今般版籍奉還之儀ニ付深ク時勢ヲ被為察広ク公議ヲ被為採政令帰一之思食ヲ以テ言上之通被 聞食(きこしめす)候事

    六月     行政官
(「栃木県史料八一」)

 新政府は版籍奉還の承認によって藩主を知藩事に任命したのに引き続き、旧封地の石高一〇分の一を家禄(俸給)とし、藩の総高・内高・租税・人口・各職員・物産等を調査報告させた。藩では、藩の歳入五か年平均を算出して報告した。
 
     領知租税録
 
  拝領高 壱万九十八石七斗三升弐合壱勺
  外
   新田高 五千九百三拾七石九斗壱升三合八勺
   元治元甲子より明治元戊辰迄
  正租納高
    一、米千九百拾四石六斗九合弐勺七才
    一、大豆九拾四石三斗四升六合弐勺
    一、金八百七拾八両壱分弐朱
    一、銭九百六拾壱貫八百弐拾弐文
   同断雑税納高
    一、金百七両弐分三朱
    一、銭九百九拾九貫四拾五文
     右之通御座候 以上
      明治二己巳年四月
                                  大田原飛弾守
(「大田原藩取締方日記」)