論功行賞

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戊辰戦争における論功行賞は、明治二年六月二日に行われたのである。
                                  大田原飛弾守
 戊辰之夏賊鋒ノ衝撃ニ当リ各所戦争尽力之段神妙ニ被 思食仍テ為其慰労目録之通リ下賜リ候事
  己巳六月     行政官
  (目録)
  金五千両
(「栃木県史料八一」)

新政府は、大田原藩の各地転戦の功を賞し、かつ慰労のため金五、〇〇〇両を下賜されたのである。佐久山の福原氏は、わずか一五人の従軍者で白河領六〇、〇〇〇石の租税取締りとして、政府軍の補給に貢献したので、金五〇〇両を下賜されたのである。
 大田原藩においては、藩士の勤務評定を行い、禄高に応じてランクづけられて、八月に目録と「褒詞」が渡され、十二月になってから支給された。
  金三両  一等より五等まで
  同一両  小頭より諸奉公人
  同一両  郷足軽等
 なお、城下戦役の際、江戸定府並勤番の者には右に準じて、その半額が支給されたと、「大田原藩取締方御用日記」は伝えている。次に、藩士への褒詞が残されているので次に記す。
 
                                          阿久津新五郎
昨八月中塩原口ヨリ若松江進撃番頭ニ而出陣途中諸所炮戦追々若松迄数度之戦争且若松城裏通番兵之於場所賊壱人見咎隊中江差図召捕則参謀衆江差出速ニ死刑ニ被行候段取計向行届是外隊中之指揮多日之軍労且同九月廿七日若松脱走之賊徒於片腐田村要撃掃攘之砌隊長一同出陣奮戦旁以勉励尽力之段神妙之至

  思食候依之為御賞誉目録之通下賜下候程此上可抽忠勤候事
    巳 八月
   (目録)
   金 八両
(阿久津モト文書)