明治四年十一月に県が整理統合されて、宇都宮県と栃木県の二県になると、それぞれの県で区画が設置された。
明治五年正月二十八日
先是将ニ大小区画ヲ制定セント、権大属安藤泰愛ヲ芳賀、那須両郡ニ、権少属立岩至徳ヲ河内、塩谷両郡ニ派遣シ(共ニ等外官吏附属ス)各村ヲ巡行セシメ、地勢実際ノ便否ヲ度リ、以テ分区ノ目的ヲ立テシム、時ニ此意ヲ管下ニ達スル文アリ之ヲ略ス、是日区画制定、戸長設置ノ稟(リン)状ヲ大蔵省ニ出ダス
一、管下四郡分区ノ儀、五百戸ヲ以一区ト定メ、戸長一員、副二員ヲ置、別ニ里正ヲ置カス、区内ノ事務一切為取扱不苦候哉
一、戸長月給八円、副四円給与候テ可然哉
但、右給料半ハ区内ノ戸数ニ附シ、半ハ区内ノ石高ニ割付ケ不苦候哉
(「栃木県史 史料編・近現代一」)
那須・塩谷・芳賀・河内各郡を管轄する宇都宮県は、五〇〇戸を基準として、管下四郡を七大区七六小区に分けたのである。
明治五年三月七日
嚮ニ大蔵省ノ指令アルヤ管下四郡ヲ分画シ、七大区七十六小区ト為シ、尋デ正副戸長ヲ配置ス(此時蓋シ触頭或ハ取締ノ類ヲ廃ス)是日其旨ヲ管下ニ布達ス
今般分区之上、新ニ一小区毎ニ戸長一名、副戸長二名ヲ被置候事(以下略)、
(「栃木県史 史料編・近現代一」)
以下、大田原市に関係する大小区画と戸長名のみを記す。
第六大区十小区 那須郡 戸数五四九
福原村、倉骨村(一五村の内二村)
副戸長 那須郡福原村 農 阿久津金四郎
同 同 片府田村 農 鈴木章四郎
同 同 下蛭田村 農 大野左平太
第六大区十一小区 那須郡 戸数五三一
佐久山宿、藤沢村、大神村、小種島村、滝野沢村、宇田川村、三色手村、上沼村、青木若目田村、岡和久村、滝沢村、平沢村(一四村の内一二村)
正戸長 那須郡佐久山宿 農 印南丈作
副戸長 同 大神村 農 八木沢新六
同 同 佐久山宿 農 後藤伴蔵
第六大区十二小区 那須郡 戸数五七三
三斗内鷹巣村、薄葉村、中居八木沢村、上石神村、下石神村、西戸野内村(一〇村の内六村)
正戸長 那須郡成田村 農 川上元六
副戸長 同 八木沢村 農 渋江善作
同 同 大田原 士族 大田義明
第七大区一小区 那須郡 戸数五〇〇
大田原郭内侍邸 大田原宿、南町、北町、大田原町地内新道村、同浅野村 沼野袋村
副戸長 那須郡大田原 士族 北川又一
同 同 同 士族 飯村定武
第七大区二小区 那須郡 戸数五六六
五輪塚村、原町村、今泉村、戸野内村、河原向新田村、岡村(四七村の内六村)
正戸長 那須郡東小屋村 農 白井喜作
副戸長 同 石林村 農 磯巽
同 同 西沓掛村 農 室井恂七郎
第七大区三小区 那須郡 戸数五一八
鹿畑村、桜井村、小滝村、堀米村、久保村、乙連沢村、下奥沢村、上奥沢村、荻ノ目村、平林村、刈切村、七軒町村、田中村、泉村、大和久村、赤瀬村、山中村、川下村、小泉村、吉際村、寺方村、中田原村、船山村、荒井村、松原村、竹ノ内村、市ノ沢村、練貫村、町島村、和久村
副戸長 那須郡大田原 士族 斉藤利貫
同 同 練貫村 農 渡辺六郎平
第七大区四小区 那須郡 戸数五八五
北金丸村、南金丸村(一七村の内二村)
正戸長 那須郡黒羽 士族 土屋鼎之助
副戸長 同 北金丸 農 松本惣八
同 同 山田村 農 斉藤仙一郎
(「栃木県史 史料編・近現代一」)
このほか、羽田村が第七大区七小区に属し、正戸長に烏山士族小口喜六、副戸長として、越堀宿農藤田真之助、鍋掛宿農菊池剛二が選ばれている。宇都宮県の場合、明治五年十月大蔵省布達以前に大小区制を実施していることや、戸長の四分の一が士族であり、自分の居住地を離れて戸長、副戸長になっているのが特徴である。大田原市域に限っても同様のことがいえる。なお前記大小区画及び正副戸長一覧表(抜粋)は、明治六年のものである。
大区小区の決定後、同五年三月十九日「正副戸長事務取扱規則」「諸費定額並ニ戸長給料配賦雛形」などを制定して、これを管内に布達した。また、旧幕時代の五人組にあたるものとし、正副戸長の管轄下に伍長制を採用し、「伍長心得」を作成し配付した。これによると、一組五戸をもって編成するのが原則であるが、地域の事情によって一〇戸でも一四、五戸でもよかった。伍長は伍中を一家のように世話し、戸籍の出入・布告・租税・火災などの非常時、怠惰の者、願事等すべて伍長の関与するところとなった。正副戸長の事務の一部を分担する末端の行政組織に組み込まれたのである。
明治五年四月九日、太政官布告第一一七号によって、封建時代の臭気漂う名儀であった庄屋、名主、年寄などの呼称が廃止された。
この大区小区制は何回となく改訂された。この後、六年六月十五日に栃木県が宇都宮県を合併して栃木県となり、ほぼ今日の県域になって六年八月に一三大区一一四小区、九年四月に四大区五二小区、同年九月に四大区四六小区と改訂を行い、明治十一年七月に「郡区町村編制法」が公布され、その年の十一月に廃止されるまでこの大小区制は続くのである。