宇都宮県議事会

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宇都宮県は四年十一月二十五日に小幡高政が参事に就任したが、この小幡参事の下で宇都宮県の大小区制が定められ、正副戸長も決定した。そして各区正副戸長を毎月一回県庁に召集して、「区内将来盛業ノ目途及ヒ県吏施治ノ得失等」について、戸長より民意を聴取するために、宇都宮県で議事会開催を企画したのが、明治六年一月のことである。この案は大蔵省の指令をまたず六年一月二十四日決められたのである。
 
     宇都宮県議事会 明治六年一月二十四日決議
紀元二千五百三十三年(明治六年)大政日新、県官是ノ朝旨ニ対シテ大ニ戸長及ビ有志ノ者ヲ庁下ニ集メ、県治ノ得失、民間ノ利病ヲ言シム、其義亦重シ、凡ソ県会ニ与ル者当ニ其大ヲ志シ、其細ヲ捨テ、専ヲ国家ヲ利シ、身ノ為メニ謀ラザルベシ、夫ノ条目ノ若キハ之ヲ左ニ示ス

  一、毎月
   十二日 河内・塩谷両郡
   二十二日 那須・芳賀両郡
    本日正午時著席、午後四時放席
     但放席後一時間ハ御布告・新聞紙類ヲ閲スルヲ許ス
  一、出席官員
     長官、典事、庶務、議事係及ビ諸課長各一名
  一、議員
     毎区正副戸長ノ内一名
但議員ノ外タリトモ、出席相願者ハ、官員及ビ平民ニ至迄勝手次第、尤総計百人以上ニ至レバ、抽籤ノ上其半ヲ翌日トス

     議事項目
  一、風俗ヲ正シ、共議ヲ旨トシ、困難相助クル事
  一、学校ヲ盛大ニスル事
  一、病院ヲ建ル事
  一、開墾ノ方法及ビ地利ニ随ヒ、物産ヲ蕃殖スル事
  一、水理ヲ疏通シ、運輸ヲ便ニスル事
  一、諸工芸ヲ開キ、器械製造及ビ使用之事
  一、諸鉱砿ヲ開ク事
  一、社倉、義倉之事
  一、人種ヲ殖ス事
  一、村落、市街警備之事
  一、国立銀行及ビ諸会社ヲ結ブ見込之事
  一、牧畜養蚕之事
    右ハ条目ノ最大ナルモノ也、其他ハ類ヲ推シ、之ヲ可議事
     規則
  一、着席後動作ヲ慎ミ、雑言禁制之事
  一、無根ノ建議制禁之事
  一、正副戸長坐列、区順ヲ以テ之ヲ定ムベシ
  一、議事ハ此件畢テ、彼ノ件ニ及ブ順序、無混乱、懇篤協議スベキ事
  一、其事ノ可否ハ三分二ノ衆論ヲ採テ、長官之ヲ斟酌判決ス
  一、長官、其可否ヲ判決セバ、書記其顛末ヲ謄記スベシ
   但、建議確論タリト雖ドモ、施行スルハ、更ニ布告ノ上タルベシ
  一、建議及ビ答議ハ簡明ノ書取ヲ以テスベシ
  一、本日議ノ決セザルモノハ、後会ニ出シ、之ヲ再議スベシ
  一、当日ノ建言後会ニ議スベシ
  一、議事会ヲ閉鎖スルハ県庁ノ権タルベキ事
(「栃木県史 史料編・近現代一」)

 宇都宮県議事会は、議事会を開く旨大蔵省に進達したところ、大蔵省は四月に地方官会議を予定していたので、その節審議することとして、実施を見合わせるよう指令した。加えて同年二月十日参事小幡高政が小倉県参事に転出となり、正副戸長議事会は取り止めとなったのであるが、小幡高政の民意を尊重する明治初年の地方官の政治姿勢をうかがい知ることができる。
 明治五、六年頃の地方民会を開設した関東地方の県として印旗・千葉・木更津(千葉県)の各県と磐前(福島県)の各県などが知られている。
 第一回の地方官会議は、明治八年六月二十日、浅草本願寺を議場として召集された。