宇都宮県
其県被廃栃木県ヘ管轄被仰付候条地所物成等同県ヘ引渡可申事
明治六年六月十五日 太政大臣 三条実美
栃木県
今般宇都宮県被廃其県ヘ管轄被仰付候条地所物成等同県ヨリ請取可申事
但請取済之上大蔵省ヘ可届出事
年号以下同上
(「公文録」明治六年 国立公文書館所蔵、「栃木県史 史料編・近現代一」)
栃木、宇都宮両県合併伺書によれば、「栃木、宇都宮之各県ハ先々ヨリ長官兼務被仰付有之義ニ付、自余之県官ハ廃置之方向ニ迷ヒ、管下人民共ハ離合之懸念ヲ起生シ、大ニ事務之妨碍ヲ生シ候趣ニ付」とある。鍋島幹栃木県令が六年二月十日から宇都宮県令を兼任することになり、両県の統一を必要としたからである。
宇都宮県庁は、六年十二月七日廃止され、官員一名程度を置く御用取扱所となった。
翌七年四月に内務省の許可を得て足利と大田原に支庁が設置された。
支庁相設置候御届
旧宇都宮県官舎内エ相設置候御用取扱所并足利町、那須郡大田原宿囚獄掛出張所共、人民弁誼之為更ニ支庁ノ名称ニ改、毎庁官員両三名ツゝ差置、警察、囚獄之事務及ビ各区内ヨリ差出候諸願届等為取扱申候、此段御届上候以上
明治七年三月十五日 栃木県令鍋島幹
内務卿木戸孝允殿
(「栃木県史 史料編・近現代一」)
それらは同年四月九日に許可になった。かくて宇都宮県庁は栃木県の支庁となり、行政の中心地から栃木県の出先機関となったのである。栃木県庁は、都賀郡薗部村字鶉島、今の栃木市県庁堀を外壕とした第二小学校一帯の地域である。
大田原・足利には囚獄掛出張所とともに、官員両三名を置く支庁が置かれた。大田原支庁は小泉村現在の若松町、場所不明である。支庁獄舎の用地はわずかに一三五坪、宇都宮の栃木支庁の用地は二一八坪であった。
明治六年七月十八日、旧宇都宮県管下の区画改訂が編成された。区画改訂の達しが八月二十三日に管下に布達された。その区画は、次のとおりである(大田原市に関係する部分のみ記載する)。
第三大区五ノ小区 十八ケ村
那須郡上石上村、下石上村
第三大区六ノ小区 二十七ケ村宿
那須郡佐久山宿、藤沢村、大神村、小種島村、滝野沢村、宇田川村、三色手村、上沼村、岡和久村、滝沢村、青木若目田村、平沢村、福原村、倉骨村、三斗内鷹巣村、中居八木沢村、薄葉村、西戸野内村
同七ノ小区 四十ケ村宿
那須郡大田原宿、沼野袋村、五倫塚村、原町村、戸野内村、今泉村、鹿畑村、桜井村、小滝村、堀米村、久保村、乙連沢村、下奥沢村、上奥沢村、荻野目村、平林村、刈切村、畑中村、山中村、七軒町村、泉村、大和久村、赤瀬村、川下村、小泉村、吉際村、寺方村、中田原村、船山村、荒井村、松原村、竹之内村、練貫村、市野沢村、町島村
第四大区七ノ小区 二十三ケ村
北金丸村、南金丸村
同八ノ小区 二十四ケ村
羽田村
(「栃木県史 史料編・近現代一」)
旧宇都宮県管下の第三大区より第六大区までの各小区には正・副戸長が置かれ、区内各村・町・宿に用掛が同年九月二日付で置かれた。用掛の設置の理由は「正副戸長ハ皆旧宇都宮県ノ時ヨリ其職ヲ奉ゼシ者ヲ抜擢シテ之ニ充テ、余ノ冗員ニ属スルモノハ用掛ト為ス、而シテ用掛ハ同県ニ於テ命ズル所ノ各村町宿総代ヲ以テ之ヲ命ズルナリ」(「栃木県史 史料編・近現代一」)。旧正・副戸長のほとんどが用掛となった。
明治九年四月二十一日には、再度区画改訂が行われ、佐久山宿は第三大区八小区、大田原宿は第三大区九小区となり、各町・村・宿の用掛は廃止され、正・副区長制が布かれ、区長の下に各町村単位に正・副戸長が新たに選出されたのである。
第3大区9小区宿村旧高戸数人員取調書(阿久津モト氏蔵)