栃木県庁大田原支庁舎新築

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明治七年四月には栃木県庁大田原支庁として、同年八月に編成された第三大区四小区から八小区と第四大区一小区から九小区に属する那須郡の各小区ごとに設けた御用取扱所の中心地となった大田原宿に、大田原支庁を新築しようとする運動が管轄内に持ち上った。大田原支庁新築の原因は明確ではない。県北の県支庁としての便宜上、地勢上の問題と建物狭小とが原因と考えられ、小泉(現 若松町)より宿内に新築しようとしたのかも知れない。
 大田原支庁新築上申書は、現在の那須庁舎と南那須庁舎管轄下の各市町村が九〇〇円を分担徴して新築したと記されている。新築上申書は、明治七年十一月二十八日付で栃木県令鍋島幹に提出され、翌月の十二月二十五日に許可されている。その全文は次のとおりである。
     大田原御支庁新築上申書
        第三大区 四小区八小区迄
        第四大区
        記
  一、金九百円也
     内訳
    金六拾弐円五銭    第三大区四小区
    同三拾三円拾五銭     同 五小区
    同七拾八円弐拾五銭    同 六小区
    同九拾三円三拾銭     同 七小区
    同四拾五円八拾銭     同 八小区
    金四拾五円五銭    第四大区一小区
    同八拾五円五拾五銭    同 二小区
    同四拾六円五拾銭     同 三小区
    同四拾壱円四拾銭     同 四小区
    同六拾六円六拾五銭    同 五小区
    同四拾三円七拾銭     同 六小区
    同九拾八円五銭      同 七小区
    同九拾六円拾五銭     同 八小区
    同六拾四円四拾銭     同 九小区
今般前書ノ全員ヲ以大田原御支庁悉皆新築献備仕度各区協議盟約仕候間御許可被成下度此段以連署申上候也

          右
   明治七年第十一月廿八日
                                   第三大区四小区
                                    副戸長 片山七郎
                                   同  五小区
                                    〃   細井又三
                                   同  六小区
                                    〃   鈴木章四郎
                                   同  七小区
                                    戸長  藤田吉亨
                                   同  八小区
                                    副戸長 相馬九平太
                                   第四大区一小区
                                    戸長  久野貢
                                   同  二小区
                                    〃   管谷昌
                                   第四大区三小区
                                        福原痴斉
                                   同   四小区
                                    戸長  江口普六
                                   同  五小区
                                    副戸長 益子貢
                                   同  六小区
                                    〃   藤田彦一
                                   同  七小区
                                    戸長  菅生万次郎
                                   同  八小区
                                    戸長  新江嘉久次
                                   同  九小区
                                    副戸長 加藤三平
  栃木県令 鍋島幹殿
   〈指令〉
   書面ノ趣聞届候事
      明治七年十二月廿五日
(阿久津モト文書)

 この大田原支庁舎の新築場所が記載されていないのに加えて、許可印が「栃木県警察係」となっていることである。大田原支庁が警察事務を取扱っていた点については前述(栃木・宇都宮両県合併)のとおりである。明治二十一年十月に編さんされた「地誌編さん材料取調書」によると「大田原旧支庁エ卯(東)ノ方一町(約一一〇メートル)、大田原警察署エ卯ノ方一町、但大田原宿中央字上町ヲ起程トス」と記されているところから見ると、当時はまだ支庁と警察は同一建物内で事務を取扱っていたものと考えられる。したがって場所は、大田原宿上町准四百九番地(「大田原警察署警察沿革誌」)ということになるのだが明確にしがたい。
 新支庁舎の完成は翌八年八月である。県大田原支庁舎新築上棟に際し、大田原宿の豪商若林善平は祝餅四斗を献上したと記録されている。
 このように大田原宿は那須郡、県北の行政・産業経済・文化の中心地として、不動の地位を確たるものとして発展してゆくのである。