官選戸長

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郡区町村編制法により、町村ごとに置かれることになった戸長は、郡役所の指示の下で各町村の行政面を担当したのである。戸長は行政事務を担当する一方、町村の理事者としての性格との両面をもっていたことについては既に述べたとおりである。したがって、行政上の事務費は地方税をもって支弁され、町村本来の事務費は協議費をもって支弁されたのである。
 従来、事務所が置かれた町村はそのまま戸長役場に改称されたが、その他は戸長の自宅がそのまま事務所となったところが多い。
 明治十二年(一八七九)五月に「各町村ニ公撰ヲ以、戸長一員ヲ置キ候条」(「栃木県史 史料編・近現代一」)と戸長公選の趣旨が布達され、「栃木県町村戸長撰挙規則(乙第一二二号)」も同時に定められたのであった。この規則によると、戸長の任期は二年(第一六条)で、戸長選挙人および被選人は、町村内に居住する満二〇歳以上の男子で、その町村内に不動産を有する者(第六条)となっている。
 この選挙規則は同十五年(一八八二)七月には改正されたのである(甲第一二五号)。これによると、戸長の任期は四年に延長(第一二条)され、戸長が公選されると、選挙人中の代表(公選人委員)が連署を以って、戸長選挙具状書(第一〇条)を県令に提出し、これに基づいて県令が当選者を戸長に任命し、任命された戸長は、公選人に対し戸長上任誓詞をだすことに定められていたのである。
 
     戸長上任誓詞
今般自分儀何郡何町村ノ撰挙ヲ以テ、該町村戸長ヲ県令ヨリ命ゼラレ、当何年何月ヨリ何年何月迄其職務ヲ負担ス、即チ法律規則ヲ確守シ、公正無私、忠信正実ノ心ヲ執リ、上ハ行政事務ニ従事シ、下ハ町村ノ理事者トナリ、以テ公益ヲ謀ルベシ、因テ衆人ノ面前ニ於テ、堅ク誓ヲ立ルモノナリ

   明治何年何月何日
                                 栃木県何郡何町村何番地住
                                       戸長何某
    何郡何町村公選人衆中
(「栃木県史 史料編・近現代一」)

 つまり、不動産のない人々が参加できない選挙でありながら公選制を認め、一応は住民に向って公益を図ることを誓っているのである。
 その後、藤川県令は十六年一月戸長公選制を廃止(甲第二号)して終ったのである。これは戸長公選については、投票に関して種々の弊害を生じ、党派に分かれて政争をひき起すもとになる等の理由からであった。翌十七年七月には、三島県令によって新たに「戸長選挙法」(乙第一二二号)が制定され、「戸長ハ県令ニ於テ之ヲ選任ス」(第一条)、「町村ノ人民ヲシテ選挙セシムルトキハ、三人乃至五人ヲ選挙セシメ、其中ニ就テ県令之ヲ選任ス」(第二条)と定められ、官選戸長制と変ってきたのである。
 この戸長の事務は多方面にわたっていたので、役場吏員ともいうべき「筆正」が置かれ、戸長の職務代理を行っていた。のちの助役職に相当する。このほか「雇」と称する事務補助や「定使」と称する雑用の使用人も置かれていたのである。当時の市域村々における戸長役場の様子は明確にしがたい。
 次に記すは、戸長選挙についての伺書である。
 
   戸長撰挙之義ニ付伺
        大田原宿外四ケ村戸長
    第一条
一 撰挙人ハ戸主ニ限リテ家族中別ニ不動産ヲ所有シ撰挙規則第六条ニ適当スルモノト雖モ撰被ノ権ナキモノト心得可然哉

    第二条
  一 撰被人名簿エハ官員ハ勿論小学訓導校掌及ヒ県会議員税金預リ人等ハ相除キ可然哉
     但撰挙ノ権ノミ有スル部分エハ記載致シ可然哉
    第三条
  一 郡役所並警察署ノ御傭ノモノ及ヒ正副戸長等ハ撰被人名簿江記載致シ可然哉
    第四条
  一 女戸主ハ撰挙ノ権モナキモノト心得可然哉
    第五条
一 投票用紙一枚毎ニ筆記致シ候テハ大田原宿ノ如キ七百弱ノ戸数ニ付多分ノ手数ニモナリ且隔年毎入用ニモ候得ハ板木ニ雛形ノ如ク彫刻致シ摺立相渡シ可然哉

 右条々相伺候也
                                   右戸長
   十二年五月十六日                            西海石邦三
   栃木県那須郡長 藤田吉亨殿
 
  (朱書)
 書面伺之趣左ノ通可相心得事
  第一条家族ト雖ドモ不動産ヲ有シ第六条ニ適当スルモノハ撰被ノ権ヲ有スル儀ト心得ヘシ
  第二条官吏及ヒ教導職ハ撰挙ノ権ノミ有スル儀ト心得ヘシ
  第三条四条五条 伺之通
 明治十二年五月十六日
   栃木県那須郡長 藤田吉亨
(大田原・第八四)

次に記すは、明治二十二年(一八八九)町村制が施行されるまでの各地区の公人である。
大田原
 明治五年~六年  戸長 渡辺渡
 〃 六年~七年  戸長 藤田吉亨
 〃 八年~十年  区長 阿久津修斉
 〃  〃    副区長 飯村定武
 〃 十一年    戸長 西海石邦三
 不明          江連政盛
 〃 十七年八月  戸長 阿久津修斉
 〃 十八年三月  戸長 山崎章
 〃 二十年    戸長 神田貞
(「郷土教育資料」大田原小学校所蔵)

金田
 明治十二年    戸長 小林平治
          戸長 木村所治平
          戸長 福田隨平
 〃 十八年  練貫戸長 益子健吉
       中田原戸長 菅生万次郎
(「金田村郷土誌」)

親園
明治五年     戸長 印南丈作
〃       副戸長 八木沢新六
〃 六年 三月 副戸長 後藤伴造
〃    九月 副戸長 渋江善作
〃       副戸長 鈴木章四郎
〃   十一月  戸長 印南丈作
〃 七年 八月 副戸長 後藤伴造
〃 八年     戸長 鈴木章四郎
〃       副戸長 竹尾元東
〃        〃  柳田昌三
〃 九年 四月 副戸長 印南丈作
〃        〃  福原痴斉
〃    五月  〃  印南彦作 (滝沢・平沢・薄葉)
〃        〃  佐藤甚四郎(   〃    )
〃        〃  渋江善作 (実取・親園)
〃        〃  森与平  (  〃  )
〃        〃  大島為八 (小種島・上沼・宇田川・滝岡・三色手)
〃        〃  藤田利平 (       〃         )
〃   十一月  戸長 渋江善作
         〃  福原清平
         〃  印南丈作
〃十二年 七月  〃  渋江善作 (滝沢・実取・親園村)
         〃  高瀬弥八郎(    〃    )
〃   十一月  〃  高橋勇治 (滝沢)
〃        〃  郡司源七 (滝岡・花園)
〃        〃  藤田利平 (宇田川)
〃十三年 四月  〃  阿久津茂一郎(宇田川)
〃十四年     〃  大島利八郎(滝岡・花園)
〃十五年 二月  〃  伴栄三郎 (親園・実取)
〃十六年 二月  〃  渋江善市 (親園・実取・宇田川・滝沢・滝岡・花園)
〃    八月  〃  高瀬弥八郎(        〃         )
〃十七年 三月  〃  西海石邦造
〃十八年     〃  斉藤武助(佐久山・兼務)
〃二十年     〃  森与平
(「親園村郷土誌」)

佐久山
 明治五年      戸長 印南丈作(佐久山宿)
 〃         〃  八木沢善作(大神村)
 〃 六年 三月  副戸長 後藤伴造
 〃   十一月   戸長 印南丈作
 〃 六年      〃  高瀬治三郎(福原)
 〃         〃  八木沢善作(大神)
 〃 八年     副戸長 竹尾元来
 〃         〃  柳田昌三
 〃 九年      区長 印南丈作
 〃        副区長 福原痴斉
 〃十八年      戸長 斉藤武助
(「親園郷土誌」、「佐久山小学校郷土資料」)

野崎 資料不足により不明